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2006年10月4日(水)   対抗馬
来年は神奈川県知事選がある。

今日、自民党は現職の松沢知事(48)にぶつける候補として、
埼玉県の第三セクター、埼玉高速鉄道の杉野正社長(48)を推薦する事とした。
(無所属で立候補し、自民が推薦するパターン)

若いパワーが古い体質を切り崩す松沢県政だったが、
議会との摩擦も大きく、自民党県連は対抗馬を立てて真っ向からの勝負を挑む事になる。

でも・・・・
何故、48歳の対抗馬なのだろう。

仕事の関係で松沢知事の仕事ぶりを何度か見てきたが、
若さ故か性格か、正直する言動が対立を招くものの、
県政そのものは財政難の中頑張っていた・・と言っていい。
(強いて言うなら、福祉関連に対する政策に不満があるが)

恐ろしく真面目でしかもストレートに動くからか物議を醸す施策も色々とあったが、
そんな若きリーダーに対し、議会側のしつこい揚げ足取りがあったように感じている。

若造の言う事など聞かぬ・・・というイメージの中、
同年齢の候補を立てるのは有権者に媚びるための事だろうが、
何だか釈然としないのだ。


しなの鉄道(長野県)社長から埼玉高速鉄道社長に就いた人が、
自民党に推されて知事に立候補って・・・・ねぇ・・(/--)/
2006年10月9日(月)   肩書き
世の中は不公平にできていて、
明らかに格差があるが故、バランスが取れている。

それに欲が絡んで消費は拡大し、
衝突が進歩の燃料となる事もまた事実である。

秩序を重んじるあまり、規制を強める集団があったとして、
その規制が理不尽であったとしても推し進められると
やがて集団は回復不能に陥るだろう。

そんな誰でも気付きそうな原理を、
実は欲が押さえ込んでしまう。

私としては、そんな欲にまみれた集団の中に生きていたくはないのだが、
世の中の殆どが格差の上に成り立っていたりするから、
気がつけば一匹狼のような生き方に帰着してしまう。

そうなると結局、
自分自身がどんな環境においてもブレないで歩を進める・・・
という決意を持って生きざるを得ないのだ。


人は自らを見失う時、
もっともな言葉や強い方向性を持つ意志に
惹きつけられる。

自らの立っている場所がわからなくなったり、自らの意志を無くした時、
格差を象徴する肩書きに判断基準を委ねてしまう人は少なからずいる。

自分と他人を同じように客観的に判断したり愛したりする事はできないが、
他人を思いやったり理解しようと努力すれば、
もう少し世の中は負の連鎖から抜け出す事ができるのではないだろうか?


今、世界は利己的な意志に支配されている・・・
と感じる。

争いは勝者にのみ「格」を与えるのかもしれないが、
共に傷つき失うモノは少なくない。

そうして得た「格」がもたらす様々なモノは、
心を癒す力なんて持っていない事に気付いてもらいたいものだ。

2006年10月19日(木)   珍しい
今日は奇跡的に早く仕事が終わった。

セーフティーネットで夜の時間を空けておいたのに、
何の問題も起きなかったため、ぽっかりと・・・空いたわけだ。
(クレームが出たら、作り直さなきゃいけなかった)

で、当然と言えば当然なのだが、
誰からも飲もう・・とか食おう・・・とかの誘いが無い。

こんな事、一年の内で何回も無い・・・のに、
何の予定も無い事が何だか悲しかったりする。


「今日は?」

「どうした?
 こんな時間に??」

「いや・・・飲みに行かない?」

「ゴメン、風邪ひいて寝てるんだ」


ゴメンm(__)m


「飯食わない?」

「今、データ持って移動中」

「え? どこ??」

「もうすぐ関内」

「ちょろっと飯食わない?」

「ゴメン、暇無い。
 SE待ってるし・・・」


ゴメンm(__)m


「今日は飲みに出れない?」

「イベントのゲネプロがあって
 何時に上がるかわからない」


ゴメンm(__)m


「今日、飲みに来よう・・・なんて気にならない?」

「今、ロケ中」


ゴメンm(__)m


・・・そうですか

皆さん、
忙しいから、
連絡無いんですね。

んじゃ、
仕事するか・・・・(^_^;)

2006年10月23日(月)   携帯の番号
明日から自分の番号を変更せずに
どこの携帯でも使えるようになる・・・らしい。

電話番号に変なステイタスを感じていた人も、
番号が変わってしまう不便さを嫌って変更できなかった人も、
これからは好きな端末と事業者を選べるわけだ。

私は今でもPHSを使っているが、この番号でずっとやってきてしまった結果、
番号を変えられない・・という事で携帯にシフトできないと悩んだ事もあった。

その頃のピッチは、繋がりにくく高速移動にも弱かったから、
仕事でよく使うようになると、どうしても携帯の方が良く見えたのだ。

しかもピッチは、ユーザーがどんどん携帯に乗り換えた結果、
近い将来存続が危うい・・とさえ言われていた。(いる?)

勿論性能が上がって使用料が安いから現在もユーザーは少なからず居るが、
端末の種類は恐ろしく減ってしまって、選択肢が少ないのが問題ではある。

ピッチの性能は今では普通の携帯と比べて遜色が無いので換える気は無いが、
通話事業からピッチが撤退して通信だけに特化してしまうなら、
嫌でも携帯にシフトしなければならない。

その場合ピッチの番号で携帯を使えるのだろうか?・・・と意地悪を言いたくもなるが、
それはきっと無視される事だろう。

今使っている番号を変わる事でどこかで繋がっているラインが切れてしまうとしても、
電波行政と企業理論は、子供騙しの端末を選んだユーザーの問題として切り捨ててしまうはず。

が、それはピッチが消滅する時にでも考えよう。

とにかくこういったユニバーサル化は、
どんどん進んで欲しいと思う(^_^)
2006年10月25日(水)   やっぱり
いつもと違うスタイルで仕事をした結果、
今週は月曜からまだ3時間しか寝ていない・・・状態に陥った(^_^;)

これがまぁ・・私の仕事なので、今さら文句を言うつもりもないが、
ここのところちょっと暇があったりした関係で、身体が怠い。

花粉症のように鼻水が出たり、
思いっきり目眩が瞬間襲ったり・・と、情けない事しきりだ。

しかし毎回、ちょっと間に合わないんじゃないの?
という状態に陥ると、本当に間に合わないで逃げてみようか・・と悪戯心が湧いたりする。

というどうでも良いことを考えているうちはまだ小人の出番ではなく、
気持ち良く寝たら仕事も終わっていた・・という状態にはなっていない。

無理して小人を呼び出す事も無いのだが、
やっぱり周りがうるさいと仕事のスイッチが入らないワケで、
結局グズグズと仕事をしていたりする。

どうしてこう、効率よくスマートに仕事ができないのだろう・・と思うが、
これも私の性、諦めてスイッチが入るまで半分寝ながら助走するしかないのだろう・・・
(もちろん、ここに書いてるのも助走の前の準備みたいなものだが(爆))


やっぱり、困った状態を楽しむ変なクセは抜けてないらしい(/--)/
2006年10月28日(土)   今日は晴れ
昨日は夜中まで会議に縛られて、
マトモな飯さえ食えなかった。

今日は、朝からイベントの取材。

空はすっかり秋の雲を浮かべ、
こんな日に仕事していちゃいけない・・と呟いている。

人間の友達になれるように・・と作られたロボットを取材しながら、
兄弟や友よりも長らえてしまった時、こんなロボットと過ごす日々を想像した。

自分の言葉に反応するロボットは、
プログラムされている言葉を発しているだけの事なのに、
そこに感情が存在しているかのように、錯覚させる。

そしてそれに愛着を感じてしまうだろう自分を知って、
つくづく人間は、一人きりでは生きられない動物だ・・と気付きなおしたりした。

齢を重ねるからそう思うのかも知れないが、
気持ちのやりとりこそが、愛情の源だと感じられてならない。

自分以外の誰かのために自分を投げ出す事が、
自分を救う唯一の道だと気付いてしまえば、
利己的に生きる事の空しさを知るのは当然の帰着。

決められた言葉しか吐けないロボットを見ているうちに、
本当に心を持つロボットが生まれるのは夢物語ではない・・・と想像できたりする。

取材が終わって外に出た時、
抜けるような青空に鰯雲が浮いていた。
2006年10月29日(日)   517
ジーンズはリーバイスの517と決めている。

昔は505も履いていたが、いつの間にか517一辺倒となり、
今では革パンまで517・・・(^_^;)

ところが、このブーツカットジーンズは日本ではあまり人気が無いらしく、
定番商品でありながらカタログ落ちを何回か経験し、
とうとうアメリカの工場がラインを止めた結果、
製造中止同然の状態になってしまったらしい。

517ー0217が517ー03(USA)となり、その最後の517の今や良質の物はデッドストック物を
探す事しか入手ができなくなった。

で・・・・

昨日、取材中に大事に履いていた一枚を破いてしまった(・_・、)


ジーンズショップで見つける度に購入してストックしてあるため
今日から困る事は無いのだが、やがてこのジーンズは存在しなくなる。

しかし、ジーンズ以外に履く物を殆ど持たない私としては、
近い将来、凄く困る事になるだろう・・・と不安にかられている。

幸い友人が70年代のデニムを再現した生地で517を作ると言ってくれているので、
その実現を待てばいい・・と思っているが、自分のスタイルを構成している物が、
こうやって消えていってしまう事を見て、これが還暦に向けてのラストラップの始まりか・・と
少しだけ寂しい思いもした。


大切にしている家族や友人、仲間、兄弟も、
時の移ろいによって同じラインを走る事が難しくなるのは自然の摂理。

変わらぬ愛情を持っていても日常に紛れて見えなくなる事は、
「いつもそこにある」という現実が崩れる事もある・・・という事を
考えない事で起きてしまう。


誰かに優しくするのは、自分も優しくされたいから?

・・・と、投げかけた事がある。

若い頃は、どこかでそういう想いがある・・と理解していたし、
多くの人間は無意識にそうしている事が想像できていた。

しかし、今の私は、
一歩通行の想いでも、
愛情を持って生きる事によって救われる事の方が
大事になっている。

その結果、人であれ物であれ、
強弱はあっても全てに愛情を持って接していて、
見返りなんて求めていない生き方が、自然にできているらしい。


しかし・・・

517を一本失ったのは・・・

悲しいなぁ・・・(・_・、)

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bowjack@wakao.info

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