会いたいと思えば会える。
それは、その時気がつかない、幸せの一つ。
会えなくなってその大切さに気がつき、
後悔という言葉の意味を噛みしめる。
もう二度と会えないと知れば、その面影は心の中で大きくなる。
そしてそれは止まる事を知らない。
諦めきれない想いは、いつかしかその模倣を求めたり、
代わりの存在を作り上げたりするが、いつでも本物と比べてしまう自分に気づき、
情けなさと寂しさを伴った自己嫌悪に苛まれたりする。
森戸海岸の入り口に、その店はあった。
店の横には海に続く小川が流れ、その川岸で食事をする事もできた。
大好きな彼女に連れられて行ったのはもう、5年以上前の事。
さすがは葉山と言うべきか、しっかりとした料理を出す店だった。
昔、イタリアンはさほど好きでは無かった。
ところが、一人暮らしにおいて一番楽な食材は、パスタだと気がついた。
乾麺を茹でるだけでいいのだから。
レトルトのソースでも、ふりかけでも、めんつゆでも何でも、
とにかく味のする物をかければそれなりに食べられてしまう。
何も無い時は、ガーリックソルトをかけて食べてしまった事もある。
そんな私にヒットしたのが、ペペロンチーノだった。
オリーブオイルと唐辛子とにんにくのハーモニーだけで食べる、ベーシックなパスタ。
そのシンプルさ故に、料理人の腕と食材の味がモロバレの一品。
これにハマリだした頃に、その店へ彼女が誘った。
オーダーはもちろん、ペペロンチーノ。
サーブされたパスタは、唐辛子の辛さとオリーブオイルの香りと、
塩の量とパスタの茹で加減が、抜群の調和をみせていた。
そう、私はたった一口で、そのペペロンチーノに恋をしてしまったのだ。
店では、ペペロンチーノ用のソース(オリーブオイルに唐辛子をこれでもかと漬け込んだもの+香辛料の何か)が
イタリアンワインのビンに詰められて売っていたが、それを使わずに味を再現したかったから、意地で買わずにいた。
その日以来、通っては味を確かめ、自分で作って食べてはその違いを考察し、
どこが違うかを記憶してまた食べに行く。
そんなデートがひとしきり続いた後、店は突然クローズドした。
(店の前の橋の架け替え工事のために、店自体が取り壊された)
土曜の朝、早く起きてバイクを飛ばし、絶品のペペロンチーノとビールに酔い、
砂浜で酔いをさます至福の時間は、もう訪れない。
あのペペロンチーノが食べられる・・という想いは、
見事に想い出の一つにカウントされてしまった。
とても、悲しかった。
それからは、どのイタリアンレストランの行っても、必ずパスタはペペロンチーノを頼んでみた。
しかし、どの店も、どこかダメな部分が存在し、これは・・・と唸らせる物を食べさせる店には出会えていない。
ダメならば、自分で再現するしかない。
それ以来、自分で作るパスタの殆どは、いつも「アリオ・エ・オーリオ・ペペロンチーノ」となった。
そして、天日干しで作られた海塩とエクストラバージンオイルと鷹の爪と、ディチェコの1.4ミリパスタで作られる、
自分流ペペロンチーノがどの店で食べるより美味しく感じられるようになっても、
森戸海岸の店の物には遠く及ばない・・・と感じながら、それを超える物を求めて食べ歩いていた。
満月の夜、未練がましく店の跡地を覗いてみたら、店らしき建物が建っている。
川岸には小さな庭にテーブルもセットしてある。
しかし、酒と書かれた赤提灯もぶら下がっている・・・・。
違う店ができたのかも知れない・・・と思いながらも諦めきれず、
電気がついている事に力を借りて、店の前まで行ってみた。
看板には「菊水亭」とある。
間違いない、復活したんだ・・・・。
胸が高鳴った。(腹が鳴った・・とも言う)
二度と会えないと思っていた人に再会したような気分だ。
気がついたら、テーブルに座って、ピザとペペロンチーノとサラダをオーダーしていた。
最初に出てきたサラダは、バルサミコとパルミジャーノを使っていたが、何だか座りが悪い。
次ぎに出てきたピザは、明らかに台がオリジナルでない。
嫌な予感がした。
しかし、前に来ていた頃お馴染みだった食器は、あの頃のまま。
間違いなく菊水亭の物だというのは、皿に店の名前がレタリングしてある事でもよくわかる。
そして、恋い焦がれたパスタが出てきた。
一口食べて愕然とした。
塩の加減はマシな部類だが、パスタがダメ。
茹で過ぎで美味しくない。
にんにくの香りは立っているけど、オイルの香りが無い。
加減は良くても塩自体に旨味が無い。
だから、気がついたら平らげていました・・・というような美味しさの欠片も無いのだ。
想い出は想い出として大切にすべきだった。
当たり前の事を、あらためて思い知らされた。
帰り道、ピザとサラダとパスタを食べたくせに、なんだか口直しがしたくなった。
食事の後に、別の物が食べたくなる・・・なんて経験は初めてだ。
久々に、二度と行かないリストに載せてやる・・・・。
菊水亭その後 「代替わり」へ
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