幸少ない人生を歩んでいると,
自己防衛の手段として過度な期待をしないようになる。
どうせそんなもんだよ・・・
何,1人で期待してんだよ・・・
と自分を叱りながら,表面の顔は余所行きの顔で
淡々と過ごすのだが・・・・
それでもどこかで何かを求める気持ちを
完全に押さえ込む力は残念ながら私には無い。
だから,なのだろう・・・
確実に手に入る何かを,無意識に目標にしてしまうのだ。
それは,すごく,くだらない事だったり,
あまりにささやかだったりして,自分でも呆れる事が多いのだが,
その癖は今でもどこかでしっかりと心の中に棲みついている。
この仕事が終わったら,何も考えずにビールを「もう飲めません」と思うまで飲む。
課題をクリアしたら,自分のご褒美に欲しかった物を買う・・・
そんなどうでもよい,確実にかなえられそうな目標なら良いのだが,
これが人間関係になってくると,そう簡単にはいかなくなってくる。
八方美人の性による応対を勘違いする・・・なんて初心者が犯す間違いではなく,
身内だと信じている者が自分を他人扱いしている事に気付くような・・・・そんな現実。
それが突然訪れた時,自分のお人好しな間抜けさや,
変な期待をしてしまった愚かさだけが心の中に置き去りにされ,
それは時として傷となって,ぬぐい去れない悲しさの形として生き続ける。
だから,過度な期待を,特に人間関係においてはしない・・・という生き方が身に付き,
傷だらけになった心はやがて,大きく動く事さえできなくなってしまうのだろう。
それはひょっとしたら,「歳をとる」という事なのかもしれない。
もしかしたら,「傷付く事に慣れてしまった」だけなのかもしれない。
ただ時として,その傷口を無意識に開いてしまう事があるから・・・・
冷静になって,客観的になって,落ち着いて自分を省みれば,
解りきっていて,受け入れている事だと気付けるのに,
残っている傷が完治していると錯覚している・・・事にすら気付いていない。
そんな想いを,たかが仕事上の出来事の中に見つける・・・・
まったく・・・・
何してんだろうなぁ・・・俺。
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