いつも空しい部分を含みつつ仕事をしているが、
今回は自分が言いたい事をしっかり盛りこんだ仕事ができた。
素人が口を出した結果、全体の構成に問題は多かったが、
結果的には手を出せないパートが増えたため、こっちの制作意図が
生きる形になったのだ(^_^)
テーマは「国際理解」というシリーズ物で、
担当者(クライアント)の執拗なオーダーの結果、
いつも取り上げるのはアジアの国になる。
同じ人間同士仲良くしよう・・という素晴らしい提言になるから、
是非ともやりたいと素直に思えるテーマだと思っている。
が、求められる事いつも同じ事で、
担当者の思い入れが大きく反映させられてしまうから、
作り手としてはすごくやりにくい事態に陥ってしまう。
外国人が日本に来て苦労し、そんな外国人をサポートする日本人がいて、
今は地域で仲良く暮らせるようになって幸せに生きている・・・
というストーリーと、
「外国人が置かれている現状を知ることが第一歩。
文化の違いを知る事からそ理解が生まれる。
そのキッカケとして「食」がある」
というコンセプト。
その骨子を必ず踏襲させようとするから、
そういったストーリーを満たす素材を意図的に集める事になる。
過去に紹介した国は、カンボジア、フィリピン、タイ、韓国、ネパール。
以前の別仕事でも同じスタンスでブラジルを取り上げたようだが、
共通するのは虐げられて生きてきた・・という図式だ。
そして今回取り上げたのは「ラオス」
実は、そろそろアジアはやめよう・・という考えから
「ボリビア」を取り上げようとしたが諸般の事情から上手くいかず、
結果的に落ち着いたのが「ラオス」だった。
インドシナ難民の定住援助を行っているNPOとラオスの文化を説明できる場所や
ラオスの食事が食べられる店等を取材して作り上げたのだが、
今回は事前にしっかりと取材ができた関係で、押しつけられた条件を自然に満たす形が取れた。
「日本は、欧米人はウェルカムでアジア人は対等に見ない。」
というコメントを日本語教室のボランティアからもらい、
日本社会が持つ差別意識を上手く表現する事ができたのだが、
そこであらためて差別意識について考え込んでしまった。
何故担当者はいつもこういったストーリーを求めるのか?
日本人に虐げられても健気に生きている外国人を紹介したがるのか?
それは・・・
担当者自身がもつ差別感に基づいているのでは?
と感じてしまう。
私は差別は、するのもされるのも嫌いだ。
だから、
差別している現実を切り取り、それと戦う図式を並べるなんて、
逆差別だとしか思えない。
それを常に求める・・・という事はどういう事だろうか?
横浜は、昔から多国籍な街だ。
共通言語は日本語や英語だが、そこには確かに軍国主義が生んだ差別意識が生む
妙な対立関係が一部の地域や集団に存在している。
しかしそれは、日本で生まれ育った新しい世代によって、
徐々にではあるが解消されつつある。
差別をしたくなるのは、自分が弱い証拠。
自分は自分だと開き直る自信があれば、差別を受けても気にする必要はなく、
誰かを蔑視する意味を自分の中に持つ意味もない。
しかしながら「差別」は無くなる事はないだろう。
何故なら、
文明発達のエネルギーは「差別」そのものなのだから・・・
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