サイト内検索
AND OR
Photo Essay
Text Essay
Desktop Gallery
Guestbook
Malt Crazy
道楽もほどほどに
日記的雑感
 
 

何のために

自分は何のために生きているんだろう。

振り返ってみれば辛い事ばかりの人生で、
楽しかった事なんてほとんど記憶にない。

ラッキーな事も殆どなく、他人より努力してやっと人並みで、
常に全力疾走しているのが当たり前だったりする。

生きている意味なんてない。
そんなものどこにもない。

気がつけば一人きりで、
バカバカしい位に孤独だったりする。

なのに、他人から見える私は、
そんな風には見えないのだろう。

意味無く羨ましがられたり、阻害されたり、
ある時は露骨に攻撃の対象となったりした。

不思議だ。

誰もが当たり前に持っている物を持っていないから、
最初からハンディがあるから、
その欠けた物を埋めるために努力し、あがき、自分に嘘をつき、
そして外にはまったく努力していない・・といった顔をさらしているだけ。

そのポーカーフェイスも、自分の心のバランスを保つために作った
つっかえ棒であり、他人に愚痴らないための盾であるだけなのに・・・

他人は、何故か私を追い込もうとした。


反発はする。

踏み込むな!
と警告しているのにズケズケと無神経に踏み込もうとするから、
実力行使も当然の帰着で、無意識に行った。

しかし・・・
誰だって、足を踏まれたら痛いだろ?
という素朴な問いは、残念ながら多くの人達には意味さえ通じなかった。

存在するのは、
想像できない物に対する興味だけ。

理解できない物への探求心なんて高尚な物じゃない。

だから私は、自分の言葉の意味を共有できる人以外には、
心を開く事をやめた。
そうする事で、これ以上傷つく事を避けたかっただけの事だ。

しかし何故か、見返りを求めない行為は、自分のできる範囲で
無条件に無差別に行う事もやめなかった。

誰かに感謝されたいわけじゃない。
誰かにわかって欲しいわけじゃない。

ただ、自分の存在を自分で確認したかったのだろう・・・・


同じような生き方をして、
同じような感じ方をして
同じような傷つき方をして、
同じような感情を育てて、
その上で使う言葉を共有できる人間が
他に存在する確率はあまりに低い。

だから心を揺さぶられる人間に出会えるわけは無い・・と思っていた。

しかし、
その少な過ぎる可能性は、0ではなかった。

そして、同じような言葉を操る人間に出会う事も現実にあった。


「生きてきて、なんの為ににもならなかった。
  誰かのためにしか、今は生きてない。」


言葉が通じる相手の叫びは、自らの欲望も膨らます。
だから否定なんてできない・・・・


「一緒に死のう。
  生きたくないから、死のう。
  誰にも見つからないで、そのまま土になる死に方をしよう」


生きている意味はどこにもない。
生きている事は寂しさを噛みしめる事。
生きている事は哀しさを味わうだけの事。


「もう、疲れた。
  生きている事に飽きた」


そうだよね・・・
疲れるだけだよね・・・
一緒に死ぬのも悪くないね・・・

でも・・・・


「俺は、君と一緒に生きていたい」

と、口から言葉は勝手にこぼれた。


何時死んでも悔いが無いように、
自分の努力で出来ることはやり、
自分の能力で手に入れるものは手に入れ、
身の丈に応じた精一杯の生き方をしてきた。

しかし、言葉の通じる人間に出会ってしまった時、
それまでの人生の大半を占めてきた拭い去れない想いの種が
何であるのか、それを理解できるキッカケが生まれた。

そしてそれは、相手への理解もまた深くしてくれた。

それから・・・
私は・・・
以前より、他人の気持ちを少しだけ
受け入れられるようになった。

勿論、君への気持ちに比べたら、
お話にはならないけど。


だから、生きていて欲しいと、
心が叫ぶ。

やっと言葉の通じる相手に出会えたんじゃないか。

ずっと独りぼっちだと思っていて、
それが当たり前だと信じて生きてきた事を
君が否定してくれたんじゃないか。

今だって
これからだって
俺にとって君は大切な人なんだ。

だから、生きていて欲しいと、心から思う。
一緒に生きて欲しいと、心から思う。

 
 
サイト内の画像・テキスト等の無断利用・転載は禁じます。
Hisashi Wakao, a member of KENTAUROS all rights reserved. / Web design Shigeyuki Nakama
某若夢話は横浜飛天双○能を応援しています。