苦しいと言ってごらん・・・
そう言われて、苦しいと言えるだろうか?
例え苦しかったとしても、背負ってるものがあれば、
決してそんな言葉は吐けないものだ。
何故なら、苦しさに耐えるために、
崩れない自分を作り上げているからだ。
ところが・・・
人によっては、そんな人間の心を測ろうとして、
執拗に嫌がる事を捜しぶつけるような行動に出る事がある。
そう、それがよく言われる「いじめ」の一つの形だ。
「私は、とことんやらないと気がすまないんです」と爽やかに笑い、
普通の人間には到底続けられないような苦行を続ける人がいる、
そんな人を見た時、時としてそれは、
自傷行為にも似た自分のための行為に見える事がある。
そしてそれは、本人が望まない形で美化されたりする事も多く、
ただ単に自分の心のバランスを取るための行為がさらに、
その人を傷つける事にもなってしまう。
これはちょっと難しい話だ。
わからない人にはわかり得ない。
そして
わからない事は、ある意味幸せな事なのかも知れない・・・と思いながら、
わかる事は、必ずしも不幸ではないな・・・とも思う。
最近、落ちこぼれが跳ね返る事もできずに、
どんどん内に籠もる形を取っていると聞く。
それはつまり、誰にも迷惑かけずに、自分を自分として保つために
自分だけで全てのつじつまを合わせようとする事なのだ。
人間は、人間関係の中で生きている。
自らそれを否定する行為は、自らの首を絞める。
そんな事もわからない大人が多いと思うのは、私だけだろうか。
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