「良いバーってどんな店だと思う?」
「そうですねぇ」
「シガーが吸えて、本が読めて、静かな所さ」
ほぉ・・・
なかなか挑戦的なコメントだねぇ・・・
どんな奴がほざいてるんだ?
と興味が湧く事おびただしい。
声の主を捜してカウンターの客を観察する。
額から頭頂部にかけてかなり頭髪を失い眼鏡をかけた少しニヒルな感じのする男が、
キープしたサントリーのモルトをロックで飲みながら、ハバナ産独特の香りを振りまいているのが見えた。
年齢にしたら、私より年下かも知れないし、年上でもおかしくない感じだ。
一通り講釈をたれるのは、バーカウンターでは日常茶飯事。
客の数だけ講釈があってもおかしくなく、それを上手くさばくのがバーテンダーの仕事でもある。
勿論、その内容はそれぞれのワガママに彩られているもので
それぞれが正論だったり納得させる物であるのも面白く、
だから「そんな考え方があるんだ・・」と楽しく拝聴する事も多いのだ。
が、その客は、一本だけキープしたボトルを更新する時に、そんな講釈をたれただけで、
あっという間に大人しくなった。
書店がかけてくれる包装紙でできたカバーをした文庫本を眺めたまま動かず、
注いでもらったロックが倍の量になっても放置したまま。
案の定、ハバナシガーは火を失い、バーテンダーは何のオーダーもしない客に愛想をつかしている。
バーカウンターも寿司屋のカウンターも、客と店員が対峙する場所だ。
静かな場所で本が読みたければ、書斎に行けば良い。
百戦錬磨のバーテンダーとの対峙を楽しみにしている客がいっぱいいるのに、
一杯を30分も放置するような飲み方はハッキリ言って失礼だ。
ま・・・あんな客がいても、しかたないか・・・・
そう思いながら杯を傾けていると、妙な視線を感じる。
ふ・・・とソレに気付き、その方向を見ると
奴がこっちのボトルをチラチラと眺め、それから全身をなめ回すように視線を動かしていた。
きっと、自分の望む姿を演出できる空気が好きで、
この店の常連となったのだろう・・・
そんなお気に入りの店には、自分には到底理解のできない変な格好した人間が、
自分とはかけ離れた数のボトルをキープしている・・・なんて事は許し難いのかも知れない。
彼は露骨に不快な表情を浮かべ、火を失い乾燥してラッパーの割れたシガーをトレーに投げ捨て、
カウンターに置いていた木の箱をの蓋を開けた。
え?
おいおい??
なんでシガーの木箱なんて持ってるんだ???
それはヒュミドールじゃないから、
中のシガーはどんどん乾燥しちゃうぞ????
嗜好品の楽しみ方は見事にキャリアが現れるため、
カッコつけても初心者丸出しの行為は絶対に隠せない。
長いマッチを使ってもスパスパ吸いながら火を点ければ、
何故長いマッチを使うか・・・という基本を知らない事がバレ、
ちまちまと灰を落とせば本来の美味しさを知っていない事もすぐわかる。
そして彼は、吸い残しの葉巻をトレーに押し付けて火を消し、
綺麗に平らになるように灰を落として持ち帰ろう・・・とする。
一度火を点けた葉巻は吸いきる物。
どうしても途中で火を落としたかったら、
シガーの中の煙を全部吹き出し、焦げていない場所でカットするものだ。
(それでも十分に不味くなるが、やらないよりはかなりマシ)
だが、シガーを楽しむ基本は、
ロングスモークを楽しむ余裕を持つ事だ。
火をつけたら1時間半は、スモーキング以外何もしない・・・という
贅沢な時間を楽しむのがシガーの良さであり、味でもある。
悪い癖だ。
他人が、どうやって楽しもうと、大きなお世話だ。
例え自分から見たら恐ろしく間抜けに見えようとも、
それもまた個人の楽しみ方の一つであり、文句をつける筋合いのものではない。
なのに、こうやって観察して、自分なりの楽しみにしたりする・・・・
結局、彼が私に対して妙な意識を持った視線を投げかけた事が始まりだ。
「俺が気に入ってる空間に、俺の嫌いな人種がいる」といったエゴを想像させるような視線と態度を示す事は、
私から見れば十分に不快でケンカを売られた気分にさせられる不快な行動だ。
私がどんな格好でバーに居ようとも、どんな酒を飲んでいようとも、どんな待遇をされていようとも、
それは私とバーとの付き合いの形と歴史であって、他人にとやかく言われるものではない。
蔑むのも、羨むのも勝手だが、
差別感を想像させる視線をもらう必要は、まったく無いのだ。
バーは面白い。
客が酔うから面白い。
そして子供じみた競争心や空しい虚栄心が見え隠れし、
それを基に勝手に人間観察ができる事もまた、面白い。
その日最後に行ったバーで、「良いバーってどんな店だろう?」と尋ねると、
マスターは「客が好きな空気がある店でしょうね」と答えた。
そう言われてみれば、私が気に入った店は全て、面白い空気に満ちている。
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