仕事が忙しい時こそ、ちゃんと食べないと気持が荒む。
それも、一人きりではなくて誰かと食べる事が良い、と感じている。
しかし、そうは言ってもこの滅茶苦茶なスケジュールに合わせてくれる人は少なく、
結果的に仕事仲間と食べる事が非常に増えた。
クライアントと一緒に・・・
外注スタッフと一緒に・・・
出演者と一緒に・・
部下と一緒に・・・
色々な話をしても、そこには厳格に仕事上の上下関係が存在し、
その分が楽しみを削ってしまう。
だが、それでもこんな時間があれば、なんとなく幸せになれるのが面白い。
そしてそれは、確実にスタッフ間の距離を縮めていく効果も持っている。
もう随分前の事だが、初めてレギュラー番組のスタッフにされた時、
上司が「同じ釜の飯を食ってこい」と言った事を思い出す。
その時は、飯食ったってどうなるもんじゃない・・と思っていたが、
今また現場に戻ってみると、その時の関係の濃さがどれほど大きかったか・・・を思い知るばかりだ。
仲間とはなんだろう。
同じ目的意識を持って、同じ価値観を共有して、
同じ楽しみを分かち合い、より良い結果を出すため以外のケンカはしない集団・・か?
そうやって考えれば、一度仲間になった関係において
その絆の太さは簡単に切れない、簡単に忘れられないモノなのだろう。
バイク仲間の絆が太いのは、
共に走る時に、命のやり取りすら存在するからだと思う。
走っている時は、総合的な腕前と危険予知能力&推察力がモノを言うから、
経験と実力だけのヒエラルキーが自然に発生し、誰もそれに異を唱える事はない。
ただ、走る時に存在するタイトな状態がバイクから離れた瞬間に消え失せ、
実力よりハッタリがモノを言う状態になった途端に、通常の社会における地位を振りかざすバカも出てくる。
今居る場所は、実力あるモノが強く、気が回るヤツが好かれ、
修羅場を笑ってこなしてナンボの世界だ。
だから今、私を知らない若手達を前にして、
少しばかり悪戯心を出しつつ大人しく振る舞っていたりする。
変な格好して腰の周りにジャラジャラと色々なモノを付け、よ〜く見ればナイフが
ささってたりする困ったオヤジは何故か局内の上の方にはウケが良く、
なにやってるかわからないけど仕事はしてる・・と(^_^;)
実力だけがものを言う社会で、一般的社会に通用する力を誇示しても間抜けなだけ。
本人だけが気付かぬ情けなさを、あざ笑われるだけの事。
そしてその実力主義の社会において、大きな顔ができる自分でありたいと思わなければ、
こんなシンドイ仕事をする気も起きないって事だ。
我がバイククラブにおいても、似たような事は多くある。
ホラもハッタリも冗談としては面白いが、
明らかに行き過ぎな野郎をからかう腕自慢も多く居て、
その結果二度と顔を見なくなる事もしょっちゅうある。
身の丈に応じた言動と行動を取る事が恥ずかしいのなら、
己の実力を上げる事を考えれば良い。
そんな単純な論理を理解できないほど、
今の社会はハッタリばかりで成り立っているのかも知れないね。
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