10年前、番組でAIDSを取り上げた。
そして今日、国際AIDS会議を期に発足した「AIDS文化フォーラム」を
番組で取り上げよう・・という事で打合せに出かけた。
いきなり重いテーマで少し腰が退けるが、
実は、この手の話題は嫌いではない。
面白可笑しく作る番組より、人の心を探るようなモノの方が、
個人的にも面白いと思えるからだ。
今回は、AIDSそのものに焦点を当てず、
AIDSに関わる人達とその文化の変遷を追う事にした。
その方が、人間の生き方の一つとして、共感とまではいかなくとも
理解しやすい切り口に思えたからだ。
勿論これは、公共自治体スポンサードの広報番組。
だから、伝えねばならない事は確実にある。
しかしそれを超えて、どこかで私なりの何かが伝えられれば・・と思っている。
SARSの問題が大きくなり、死に至る病として過剰なまでの反応を皆が見せると、
偏見に満ちた報道により多くの誤解を生んだAIDSを思い出さずにはいられない。
そしてその偏見は、今もどこかで心の片隅の刺さっているは、
隠しようの無い事実でもある。
人は生まれながらにして不公平な関係を強いられるが、
その環境を作るのもまた、偏った情報にコントロールされる人々の力だ。
その恐さと愚かさが理解できている人でも、いざ自分の問題となると客観視できない人は多い。
そんな形を多く見てきているから、この話題には今まで燻っていた感情の澱を吐き出すように
自分としての形を提案できるようにあがこう・・と思っている。
ただ、着任した現場は感情問題がもつれていて、実務よりもその交通整理の方が大切で大変そうだ。
そしてその問題を解決するのも、どうやら私の仕事として与えられたモノらしい。
何もできない駆けだし・・の自分でも、情報を扱い続けてきた歴史がある分有利。
長く働いてきた結果、得られた信頼関係があるだけ有利・・・
そう思えば、持ち前の楽観的考え方でやっていけるだろう。
そして、「とにかくどうにかしてやるしかない」と思うのは、
どこかでやれて当然という自負と廻りからのプレッシャーに後押しされ、
気負い気味に生まれる素直な決意に他ならない。
偏見は自己防衛の感情から生まれるもの。
自らを楽に安全にするために、無意識に起こす本能とも言える。
その悲しい性を持ちながら社会を営んでいく事は難しく、
故に、争い事もまた消える事はない。
そんな事を考えながら、新しい職場にシフトする現実を受け止めた。
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