青い空とエメラルドグリーンの海。
眩しく輝く白い砂と、色とりどりの魚達。
原色に彩られた世界を味わえるのも今日まで。
そしてまた、日常へと帰ってゆく。
たくさんの経験があって、人間は生きている。
だから、どれだけの経験を積んだか、どれだけの学習をしたか・・で、
その人の生き方は変わっていくのだと思っている。
そしてその経験を積むためにも、非日常へのシフトが大事だと考えているから、
日常へ戻っていく事を悲しむような気分には陥らない。
離島と呼ばれてしまう南の島から飛び立つ人達は、
何かの決意を感じさせるような表情を浮かべている。
その琉球を思わせる風貌の中に、寂しさを思わせる色を見つけると、
外国に旅立つのと同様な距離を動く意味を想像してしまう。
離島桟橋から数十分で辿り着ける竹富島では、1年に1度、大きな祭りがある・・と聞くが、
その祭りのために帰ってくる親戚達は住民数の10倍を数える。
普段、観光業で食べている人達だけではその大きな祭りを営む事は難しく、
無形文化財にも近い出し物も数多い。
そしてその帰省は、一年に一度の「おかえりなさい」を生み、
肩の荷を下ろせる時間と空気を帰省者に与える・・・と想像できる。
田舎・・というモノを持たない私にとっては、そんな解説を水牛車の上で聞かされた時、
少しだけ羨ましく思い、少しだけそうせざるを得ない人達の生き方に同情した。
観光に来る場所には、魅力がある。
日常には存在しない「何か」がある。
そしてそれは、当事者にとっての日常であり、
魅力を感じにくいモノでもある。
横浜もまた、観光地ではある。
東京とは違う空気と歴史を感じさせる景色があり、
作られたイメージと演出された時間が嘘臭くも有り難くも存在している。
だが、ソコから出かける時寂しさは感じないし、
帰るときにも特別な気持を持たないのは何故だろう?
横浜が嫌いなワケではなく、特別に好きなワケでもないから・・・なのか、
故郷意識の薄い私だけの特別な反応なのか・・はわからない。
でも、やっぱり「自分の街だ」とは、思っている。
きっと私にとっては、距離よりも日常対非日常としての感覚的距離の方が大切なのだろ・・・
と思いながら飛行機の窓から横浜の灯りを見た時、「帰ってきちゃったな」と思わず呟いていた。
なんだ・・・
日常はあまり面白くない・・・だけじゃん(^_^;)
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