ライブハウス・・・というモノを初めて経験したのは、
実はそんなに若い時の事ではない。
横浜にはライブハウスと言われる店が多く存在し、
特にジャズ系の店はその歴史からも当然の如く多い。
ジャズ系は大人、ポップス系は大人の不良、ロック系はガキ向けで
グループサウンズ専門のような限られた人達向けの店もあって棲み分けができていた。
フォーク喫茶のような素朴なバンド向けの店が無いのは、
横浜のポジションが日本におけるジャズやリズムアンドブルース発祥の地と言われやすいからであり、
どっぷりとアメリカ色の強かった横浜においては四畳半フォークは大事にされなかったのからだろう。
ゴールデンカップス、エディ藩、柳ジョージ等横浜出身と言われるアーティストが、
どこかそんなアメリカ色をちりばめたカラーを売り物にしているのは、
戦後の横浜が持っていたエネルギーとイメージを大事にしているのだと思う。
音楽とのつきあいは深く、自らプレイする事もあったり写真を撮る仕事をしていた事もあって、
実に種々雑多なジャンルを今でも楽しんでいる。
そんな付き合いの中、グループサウンズ専門のバンドから「久々に横浜で演奏するから来い」と
有り難い?お誘いが舞い込んできた。
「フライデー」だったらチャージが高くつくから嫌だな・・・と思いつつ会場を確認すると、
関内セルテのある店の名前が載っていた。
「リトル・ダーリン」
045-664-9990
横浜市中区真砂町3-33 セルテ11F
月〜土 18:00〜26:00
日・祝 18:00〜25:00
この店は、横浜の「オールディーズの発信地」として開店した老舗になりつつあるライブハウス・・
と言うよりステージ+ダンスフロア付き飲み屋。
普段はロックンロールなバンドが多く出る店なのだが、ソコにGSバンドが出る・・とは思わなかった。
しかし、上手いチョイスだ。
グループサウンズと言えば、団塊の世代のトップアイドルでありながら
「ゴーゴー」と呼ばれたダンスを楽しめる曲を奏でる希少なバンドだ。
ちゃんとしたステップを踏む踊りを現在のクラブで踊るのは難しく、
不満の溜まった大人達がここぞとばかりに踊り捲るには丁度良い環境だと言える。
演奏予定時刻に飛び込むと、席は殆ど満席。
辺りを見渡せば、私が小僧に見えるほど見事に年齢層が高く、
そしてそれぞれが目一杯楽しんでいるように見えた。
ワンドリンク・ワンフードを頼んでくれ・・という条件付きでミュージックチャージも入れると、
一人5000円を少しオーバーする感じではあったが、それでもこのバンドのライブとしては安い方。
実際にグループサウンズ時代に活動していた人達が集まってできたバンドであり、
ある意味本物のプロでもあるから、どの店でもチャージは高めの設定をするのだ。
モズライトの奏でる独特のテケテケ音を聞きながら飲むビールは、
子供の頃、大人が楽しんでいた世界を垣間見るのにピッタリの飲物。
(あの頃飲まされたビールはもっともっと苦かったけどね(^_^;))
「思い出の渚」や「亜麻色の髪の乙女」などリバイバルやカバーで知名度の高い曲から、
「ベンチャーズメドレー」等の所謂エレキギターサウンドミュージックが演奏されると、
「リトル・ダーリン」のフロアは50代のカップルが見事な踊りを披露する。
そのタイムスリップしてしまったかのような空気を味わいつつ、
子育ての終わったカップル達の遊びを見つつ、非日常を味わう楽しみに浸っていた。
「お疲れさまです。」
「お〜、来てくれたんだ」
「横浜に顔出すって聞いたら、来ないワケいかないでしょ?」
「あはは
で、どうしてた?
一緒に居た娘は元気かい?」
「あ・・・、そんな事もありましたっけねぇ。
そうそう、また制作に戻るんですよ。」
「お〜、じゃ、そのうち一緒に仕事できるといいね」
バンドリーダーの彼とは因縁が深い。
ヤマハのポップコン時代からの付き合いで、
以前は自分がプロデュースした番組で司会をしてもらった事もある。
同じような時代を生きてきて、何回か接点を共有しただけの事だが、
妙に気があって、こうして再会のチャンスが巡ってくる。
それはきっと「縁」という不思議な偶然でできあがった関係が、
お互いの中で必要なモノとして存在する証拠だと思う。
フロアで嬉々として踊る年輩者達を見ていると、
今の若者達とは違うパワーを感じる。
それは穏やかでいながらとても重い、
一本筋の通った迫力が伴う力強いモノ。
先輩方がこれだけ元気なのに、
「疲れた〜」と自分を甘やかしちゃ情けない・・・と思うと、
明日からの毎日を今日より明るく過ごせる気持が持てる。
たまには、こんな夜があってもいい・・と思った。
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