久々に収録に立ち合う。
すっかり忘れていたはずの仕事なのに、
当たり前に感覚が蘇る。
大将にバイクを止められていた期間を経て数年ぶりにバイクに乗った時よりも簡単に、
仕事のやり方を思い出せるのに、我ながら驚いた。
一ヶ月もすれば、私自身の演出で番組を作る事になる。
しかし、それはできて当たり前の仕事で、
私がやらなくてはいけないのは別の仕事だ。
技術は、自己研鑽でどうとでもなる。
良き指導者と適した環境があれば、
そのレベルは飛躍的に伸びていけるモノなのだ。
だが、人間のレベルを上げるのは、簡単ではない。
何故ならそれは、明確な判断基準が無く、評価は他人がするものだからだ。
その現場に働くスタッフのレベルを底上げしろ・・という意味を持たされた異動命令は、
今の仕事に満足し、慣れきって、進歩のスピードが落ちた・・という評価が有っての事。
だから、自らをレベルアップするような考え方を、
伝え、教え、可能なら形を見せていかねばならない。
ある程度、運転の技術が上がると、
そこから先は特殊な方法でしか技術は上がらない。
それは、自分が勝手に決め込んだ限界を破る体験をする・・という方法論だ。
速く走れる人間と自分とは何処が違うか・・・と突き詰めた場合、
自ら楽をするために無意識に作った壁が必ず見えてくる。
負けず嫌いは、目の前の速いヤツを抜こうと自力で壁を突き抜ける事ができるが、
根性無しは、置き去りにされても自己弁護を繰り返して、自己満足に終始する。
今度の職場は、置き去りにされたヤツが多い・・と聴かされる。
勿論、現場を見てみなければ、その言われ方が正しいとは言い切れない。
が、そういう判断をされる事自体、既に「問題有り」だろう。
自分の現状に満足せず、日々レベルアップを望んで努力する事は孤独な作業だ。
そして、かなりの苦痛と労力を奪われ、報われるかどうかは自分で判断がつかないモノ。
だからこそ、誰もが認める実力者は、
そこまで持っていった努力の裏付けが想像できて、信頼を得られるのだろう。
新しいルートを走る。
しかしそのルートは、昔よく攻めたルート。
だからと言って容易いワケではないから、ファイトが湧く。
そのルートの入口でチケットをもらった日、既に頭の中でライン取りを考えていた。
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