第二次世界大戦後、横浜の至る所は接収されていた。
大きなビルやホテル等は勿論、大きめな家屋敷まで軍の接収がすすみ、
横浜は横須賀や厚木基地と東京とに挟まれるためか、多くの米軍施設や住居が存在した。
ニューグランドホテルは将校クラブになり(マッカーサーの宿舎としても有名)、
伊勢佐木町には米軍の飛行場があって、横浜公園には蒲鉾兵舎までが並んでいた・・・と聞く。
米軍が横浜に求めたモノは食・住・娯楽。
彼等の求める文化はもの凄いスピードで流れ込み、特にジャズは貴重なレコードや
実際のプレーヤー(サッチモは軍人として横浜に来た)が結果的に横浜に集まってしまう・・・
貴重なレコードはジャズ喫茶にストックされ、ナイトクラブでは生バンドが毎日演奏となれば、
ジャズプレーヤーを目指す人々も横浜を目指すのは当然の事。
(渡辺貞夫も日野皓正も野毛の「ちぐさ」(ジャズ喫茶)に通って勉強したとか)
やがて横浜は、日本におけるジャズの聖地と言われるまでになった。
横浜の街を歩くと、今でもジャズの生演奏を聴かす店を多く見る。
そして「聖地」としての位置づけのせいか、一流ミュージシャンが多く出演し、
フラッと入った店でしっかり心を掴まれてしまう・・・なんて事も多くあるのだ。
「たまには毛色の変わったトコ、行かない?」
「そうだね・・・いっつも中華ってのもね。」
「何かアイデアない?」
「って、言いだしっぺがオーダー出すんじゃないの?」
「ここのところ『ストラーダ』や『まつむら』が多いし・・、『一里』じゃ重すぎるし・・・」
(まつむら:蕎麦屋(汐汲坂) 一里:創作和風料理(山下町))
「だよなぁ・・・
あっそうだ、491ってどう?」
「3階か?」
「何言ってんだよ、3階行ってどうすんだよ」
「いや・・・内線番号がさ」
「ジャズの演奏やってる店があったろ?」
「あ〜、あったあった。
そう言えばそんな番号がついた店だったな」
「491HOUSE」
045-662-2104
横浜市中区山下町82徳永ビル1F
18:00〜26:00(LO: F. 25:00、D. 25:30)
無休
本町通沿いにあるここは、ヨコハマのジャズシーンの一つを担っている事で有名だが、
外観はごく普通のアメリカンスタイルバーに見えるカジュアルな店で、
出演者ボードを見ない限り中で演奏をやっている事には気づかない密やかさを持っている。
店内は港町らしく船のイメージで造られ、タイトなセッティングとで暗い照明で、
横浜の持つ雰囲気を上手に演出しているように思った。
「ミートタコスとメキシカン・ポテトに・・491カレーを。
それとミラーと生・・・」
「メキシカン・ポテトって?」
「う・・・ん、強いて言えば
ジャガイモを揚げたやつにポークビーンズをぶっかけたモノ」
「カレー二つにする?」
「そんなに食えないって。
メインは『飲み』だろ?」
今日は、ウッドベースとピアノのデュオが演奏している。
が、店は時間が早いためか閑散としていた。
コッチはバカ飲みする前の腹ごしらえに・・と入ったので、
演奏者には申し訳無いが長居をするつもりはない。
が、ちょっとライブな店内に生音が柔らかく響き渡るのは、とても心地よいものだった。
「最近、こういう音って聴いてないな・・・」
「なんかさ、ジャズバンドが入ってる店って苦手でさ」
「?」
「客層が、妙に音楽に入り込んじゃっている傾向があってさ、
俺ってお門違い?って回りに尋ねたくなっちゃうんだよ」
「あ〜わかるわかる。
演奏中に喋ってると、演奏者が怒る店もあるしな」
「『エアジン』みたいに、きっちりジャズ聴きます・・・みたいな店だったら解るけどさ、
酒と食事を楽しむ店で私語禁止・・・なんてされちゃったら、うまくねぇじゃん」
「で、あまりこういう店には来ない・・・か」
「そう。
コンサート聴きに行ってんじゃないって、ケンカ売ってもしょうがない。
でもここは、あまり気取ってないから好きなんだな。」
デュオが入ってるピットの前にはカウンターが有りリスナー専用席となっているが、
それ以外の席は音楽を聴くためだけのセッティングにはなっていない。
それがこの店のバランスの良さで、贅沢なBGMとしてもちゃんとした演奏会としても楽しめる形は、
尖りすぎていないリスナーだけでなく、ふらっと飛び込む客にも優しくて良いと思う。
「実はさ・・・
ジャズってあまり好きじゃないんだ」
「へぇ・・・ じゃ、何故この店へ?」
「って言うか〜、プレイヤー対リスナーみたいな聴き方が苦手なんだよ。
こうやってゆっくり食事や酒を楽しみながら、会話を完全に邪魔しない音量で聞くなら、全然OKなんだ。」
「そうだなぁ
俺もあまりこういう店には来ないからな。」
「それとさ・・・
高いワリに美味しくないフードとか、安い酒しかないしさ」
「ミュージックチャージを取る店って、そういう傾向あるね」
「小さい頃さ・・・
親が働いてる飲み屋に居て、ずっとジャズを子守歌に寝てたんだよ」
「へぇ・・初耳だ」
「あぁ、あまりこの話はしないんだ。
でさ・・・、その頃のウチは貧しくて、大変だったんだ。
親が借金しちゃってさ・・・」
「でも飲み屋・・・やってたんだろ?」
「今から思えば、雇われだと思う。
きっと住む所も無くて、親一人子一人で俺小さかったから、
店の2階に住み込みでやってたんだよ。」
「そうか・・・
それは寂しかったな」
「ま、あまり記憶に無いんだけど、何かのキッカケでその時の感覚だけが蘇るのさ」
「・・・結局、ジャズって、その頃を思い出す傷・・みたいなモノって事か・・」
「日本酒を温めすぎた匂いを嗅いだり、安っぽいスピーカーから流れるスタンダードジャズなんかが
流れると、ワケも解らず寂しい・・・と言うより不安な気分になるのさ。」
「で、ジャズは嫌いになった・・・と」
「音楽自体は嫌いじゃないんだけど、ジャズと対峙するような聴き方を要求されるのは、
意識的に避けるようにしてたんだ。」
「知らない事とは言え、悪かったね」
「いや、気にする必要はないよ。
こうやって話ができるほど、その傷は癒えたんだと思し、
この店はジャズをつきつけるような聴かせ方はしないしね。」
記憶の鍵は、思わぬ所に潜んでいる。
それは五感に訴える何かだと考えているが、
痛みが伴う記憶はその鍵を何処かに隠してしまう事が多い・・と感じている。
しかし、自分では説明のつかない痛みを伴う感情の記憶が蘇る時、
その鍵を見つける意味は大きい。
彼は、ジャズを聴く度に不安感を覚え、そしてその理由を自分で解明できたから、
今は平気で話す事ができるようになれたのだろう。
たまには違う店に行く意味は、こんな形でもあるらしい。
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