磨りガラスと木でできた引き戸は片方が動かず、
黄色く変色した紙に開ける方向を示した矢印が記され貼ってある。
ちょっとその引き戸を持ちあげつつスライドさせると、
中は昭和時代その物の風景が待っていた。
「いらっしゃいませ。 こちらへどうぞ。」と落ち着いた女将の声。
4人座ればいっぱいとなる個室(と言っても隣の個室との壁は、天井から2尺が無く繋がっている)に通され、
座りにくいほど奥行きのない木の椅子に腰掛け、一応メニューに目を通すのだが・・・頼む物は決めてある。
「『もり』と『玉丼』を・・・」
「は〜い。『もり』は一枚で良いですか?」
「う・・・ん、足りなかったらまた頼みます」
店内にまともな空調設備はなく、夏は引き戸を開け放して壁の扇風機で涼を取り、
冬は個室にも大部屋にも石油ストーブが奢られるだけ。
しかし、「フーテンの寅さん」に出てきそうな古き良き建築は、
昔ながらの天然エアコンを良し・・とする気分にさせてくれるから不思議だ。
中華街の外れにあるその店の名は「和楽」。
「もり」一枚が350円の今時珍しい蕎麦屋だが、一枚あたりの量は少ないため
「もり」3枚で普通の店の大盛りよりちょっと多いかな?といった感じがする。
つまり「もり」(350円)+「玉丼」(450円)で丁度良い量と価格になるワケだ。
真夏と真冬には行きたくない店だが、春めいて過ごしやすいこの時期は、
客がちょっと退いた時間を狙ってこの店に行くようにしている。
何故なら、ここの蕎麦は茹ですぎに弱いレシピらしく、
ほんのちょっと手を抜かれるだけで、別物のように伸びきってしまう。
つまり、混んでいる時蕎麦を頼むと確実に伸びきって出てくるわけで、
「もり」を頼む場合は、絶対他のオーダーは詰まっている時を避けなくてはいけないのだ。
(同じ麺を使っているとは思えないほど違う)
大部屋に客がいっぱいで個室にも客が詰まっているような時運良く座れても、有り難くない・・と(^_^;)
早めに会社を抜け出し、軽く飲みに行く前の腹ごしらえに・・・と「和楽」に向かったら、
なんと店が壊されている最中だった。
すごい・・・ショックだ。
安くて美味しい蕎麦が食べられない事も悲しいが、
戦後すぐに建てられたであろうその古き良き店舗が無くなる事も寂しい。
クソ暑い・・・と思いながらも、扇風機と蚊取り線香の匂いを感じながら食べる「もり」は、
空調の完備した蕎麦屋で食べる物とは別の、美味しさと風情があって好きだったのだ。
何十年もの歴史があるはずの店内には小型のショベルカーが入っていて、瓦礫の山ができている。
その残骸を見れば、古い木材の肌が泣いているように輝いていた。
薄利多売で地域住民に大事にされていた店も、諸般の事情で店を畳む。
それが不景気の為せる技だ・・とは思いたくないが、
何だか最近、こんな風景を多く見過ぎる。
古い建築物をキープする事は、逆に贅沢なのかもしれないし、
ロンドンのように法律で保存する事を強制されるのもどうかと思うが、
明治から続くような建築物が多い横浜には、そんな考え方が何故育たなかったのだろう。
豊になりすぎた日本は、
豊になれなかった心に振り回され、
豊かさの意味に気付いた時には、全てを失っているのだろうか?
そんな事を考えながら、横浜の街を歩いてみたら、
マンションばかりが建設されている無惨な姿が目に入る。
どうやらヨコハマは、普通のベッドタウンに変身している最中のようだ。
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