町中のごくありふれた蕎麦屋。
そこは、ちょっとタイムスリップしたかのように感じられる空間であり、
何故か落ち着く空気が流れる大切な場所でもある。
例え蕎麦が少し腰砕けでも、例え店内の造作がヤレていても、
コレを新しい建材で再現する事はできない・・と知っているから、
この店全体があってお気に入りの一つとしてカテゴライズされるのだろう。
いつも、殆ど客は居なくて(居る時間に来ていないだけかも)、
店の兄ちゃんはひっきりなしに出前に出ている・・・・。
それはきっとこの店が、出前専門に近い営業をやっているんだろう・・と思っていたが
何故か今日は、座る場所が無い位の繁盛を見せているのだ。
せっかく一人で中瓶でも空けながら板ワサでも楽しもう・・と思ってたのに、
何だかせわしなくなっちゃうな・・・と気落ちした。
どうやら私は、あまり人が居ない店の方が好きらしい。
「いやぁ・・・私は、お酒を飲んでいる時は、煙草は吸わないんですよ」
「ほぉ、珍しいですな。
普通は、お酒を飲むと煙草を欲しがるものだと思いましたが」
「いやいや、恥ずかしながら日本酒を飲みだしたのはつい最近で、
所謂『地酒』ってやつですか? それを飲まされてから凝ってしまって」
「私は、お酒なら何でも好きな方ですが、『地酒』と呼ばれる物はいささか高く感じて
もっぱらコレばっかりですわ」
寒いからだろう・・・
徳利に入った燗酒をちょっと持ちあげて話す彼も、地酒が好きだと語る彼も
完璧にリタイアして悠々自適な毎日を過ごしていそうに見える。
「連れ合いと居る時は殆ど飲まないのですが、
一人ですと好きな物ですから地酒を・・・・」
「あぁ、わかりますわかります。
私も飲む時は、こうやって友人と飲む事がもっぱらですなぁ」
「実際、良い香りがするので、本当に煙草なんて吸えないんですよ。
地酒を覚えて以来、随分吸う量は減りましたね」
「そんな物ですか?
私は元々やらない方なのでわかりませんが」
「やっぱり、煙草は邪魔ですよねぇ。
お酒の席にはよくありませんな。
それと、蕎麦を啜る時も大いに邪魔ですね」
へぇ・・・・と思う。
どう見ても私より四半世紀は余計に生きていそうな二人だから、
質より量の時代を生き延び、煙草も酒もガンガンいってそうに見えるのだが、
繊細な味を楽しむためには煙草は良くないと言えるのだ。
蕎麦を啜る時に煙草の煙が充満していたら、やっぱり食べる気がしないよね?
と彼の意見に心の中で同意する。
しかし、その大きめな声での会話は、やっぱり加齢による難聴の為せる技か、
酩酊による一時的難聴のせいか解らないが、店の空気をしっかり支配しているのは事実だった。
レトロな店内に、昔の青年二人がそのまま居続けていたように錯覚しながら、
こんなノンビリとした客に混じる楽しみもあるんだな・・・と肴代わりに聞いていた。
と、突然「煙草は吸わない」と語っていた彼が立ち上がり、店の中をウロウロしだした。
何事かな?と思っていると、帰ってきた彼の手には灰皿が・・・・
ちょっとちょっとお兄さん(昔の)
貴方はさっき「食べたり飲んだりする時煙草は邪魔だ」と言っていませんでしたか?
自分がもう飲んだり食べたりしないから、
ほぼ満席の店で蕎麦を啜る人を尻目に煙草吸っちゃうんですか?
シュボッと火を点ける彼。
紫煙が漂い、途端に煙草臭くなった。
まぁ、今日は昔のお兄さんが居る居酒屋で蕎麦頼んじゃったと思おう。
しかしこれだったら「天せいろ」なんて頼まなきゃ良かったなぁ・・・・
ビールをあらかた飲んでしまい、蒲鉾一本まるまるあるんじゃないか・・という量の板ワサが終わる頃、
肴の代わりになるだろう天麩羅山盛りの「天せいろ」がやってきた。
ここの蕎麦は置いとくと伸び切っちゃうからなぁ・・・と煙草を無視して食べようとした。
すると・・・・
あまり煙草の匂いがしない。
あれ?
なんで??
ふっと彼等を見ると、その講釈垂れ兄さん(あくまで昔の)は、
ほんの一口吸っただけで煙草を消していたのだ。
勿論、私がソッチを見た事には気づいている。
そして、私が店に入ってから一度も煙草を吸う仕草さえ見せていない事にも、彼等は気付いていたようだ。
クセで無意識に煙草を吸う人は多い。
狭い店の中で食事をしているのに、
後から入ってきた客がいきなり煙草を吸う事も多く見る。
その無神経で自分勝手な行動が嫌いで、
総じて煙草吸いは区別して見るようになっていた。
しかし今日は、彼等の気遣いを見て、
少しだけ反省し、理解した。
気遣いのできる大人はちゃんと居るんだ・・・・と。
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