下品なエンジン音が響き渡る。
ミュージックにもならないただの雑音。
ちょっと暖かいと、すぐコレか・・・・
見るとはなしに見ていると、随分な数のバイクと車。
信号無視で交差点を曲がるために、進路妨害担当のバイクが交差点の真ん中で空吹かす。
その養護を受けて当たり前に突っ込んでくるバイクには、花束がくくりつけてある。
お揃いのツナギに鉢巻で、旗を持つ者や遺影を持つ者までいた。
誰かの追悼走行会か・・・・
悲しみを吹き飛ばし、成仏を願って走るのだろうか?
それとも、伝統的にそうするから、ソレを守っているだけか?
いずれにしろかなりの長さでパレードする集団は、
一種異様な雰囲気を纏って我が物顔で走り抜ける。
そしてその最後尾を、交機の覆面パトカーが追尾する・・・
爆音と空吹かし
パトカーのサイレン
辺りには一触即発の空気が流れ、
もう一台パトカーが交差点に突っ込んできた。
そのパトカーの進路を妨害する素振りを見せたケツ持ちには、
当然の如く接触スレスレの幅寄せが容赦なく仕掛けられる。
私も、何人かライダーの友人を、失っている。
だが、追悼走行会を開いた記憶は無い。
悲しさと淋しさを乗り越えるために、普通ではない精神状態で走る気になれないからか、
二度と一緒に走れない現実を確認するだけの行為だ・・と知っているからか・・・・
とにかく友人を失った時は、ライディングを遠ざける傾向はあっても、
悲しみを千切って捨てるような走りに逃げる事は無い。
そして、心が友人の死を受け入れてから、
彼の記憶を消さないように走るだけだった。
一緒に走っている気配を感じて少しだけソイツの気持を想像したり、
ソイツと走りにいった所まで辿り着き、ゆっくりと休憩しながら心の中で会話する事で、
喪失感は平穏な感情へ・・・・と姿を変えていけるらしい。
たくさんのバイクにたくさんの花束。
奴らにも仲間を失う悲しさはある。
そして弔いの意を胸に、生前の仲間が喜びそうな事を集団で行う。
迷惑極まりない違法走行を容認できるほど無関心ではいられないが、
供養の方法の一つと思って、今日のところは冥福を祈る事にした。
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