テレビで、若者をメインにした討論会をやっていた。
暴走族やカラーギャング等の映像をからめて、「何故非行に走るのか?」
「何故、簡単に人を殺してしまうのか?」等といった話題を討論している。
テレビっぽい話題だ・・と思いながらも何となく見ていると、
現在の教育における問題点に話は変化していった。
「親の躾がなってない」「学校教育が悪い」
そんな意見が飛び交う中、池袋のカラーギャングと紹介された討論者が意見を求められた。
「なんでやってるのかわからないよ・・・」
クールにそう彼が答えた時、突然今の日本の問題点が見えてしまった。
それは、教育だ。
何故なら、日本の教育は「弱肉強食」しか教えていないからだ。
「記憶力」という「能力」だけでしか戦えない「勉強」の分野において、
「成績」を上げる事だけが良い事であり、「成績」の悪いものには「救済の道」もない・・・・。
家庭においても「勉強しろ」と言われ、学校でも成績によって評価されるだけ。
社会においてもその「成績」から判断される事は多すぎる程あると思う。
人間は動物だから、
本能的に誰かの上に立っていたい欲望があるのは解るはず。
だから、「勉強」が苦手な人間は、
自分にとって有利な世界で勝負をかけるのだ。
それが「腕力」のみで優劣を決めるフィールドであれば、
弱者救済をしない事が当たり前と教育されてきた子供達にとって、
腕力の無いモノを助けないのも当たり前・・となる。
「他人の痛みが解らないからやりすぎる」なんて説明的コメントこそ無知の証拠。
腕力でしか優位に立てない人間の生きる集団においては、
腕力で負けるヤツは結果的に死に至る事があっても当たり前なのだ。
だから当事者にとっては、生きられる世界にいる事に対して、
まったく違う価値判断の元に理由を尋ねられても、解るはずはない。
結局、これがアメリカ型教育の成れの果て。
だが、日本とアメリカには決定的な違いがある事にも気がつく。
どんなフィールドにおいても、絶対的に敵わない存在がなければ、
弱肉強食のルールによって構成される社会の秩序を保つ事は難しい。
その存在が有るのがアメリカで、無いのが日本だ・・と気づいたのだ。
その絶対的な存在とは「神」だ。
全知全能で絶対敵わない存在があるからこそ、秩序が生まれるのだ。
このまま、日本の社会が腐っていくのなら、信仰を強要する必要がある。
そしてそれは必ずしも「宗教」である必要はない。
絶対に敵わない存在を意識できれば良いだけの事だからだ。
そして、私はその神の姿を
「理想的な架空の自分」と考えている事も、理解した。
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