ストラーダが一周年という事で、ちょっとばかり顔を出す。
溢れんばかりの人が来店し、その人気の高さを彷彿とさせていた。
想いだけで自分達だけでしかできない店造りをした3人のうちの2人は、
既に新たなるステップを踏むために店には居ない。
しかし、ストラーダは何も変わらずに立派に走り続けている。
「若さ」という起爆剤はあったとしても、持続する力は日々の「努力」
休まずに営業を続けるのもその一つなのかも知れないが、
テナント料の高い元町でクオリティを落とさずに頑張っているのは大した物。
そしてそれは、現在頑張っているスタッフだけにしかできない独特の走り方が、
成り立っている証拠でもある。
最初の一年は、右も左も解らないのが当たり前。
二年目にしてやっと、去年の事を思い出し、何をすべきか・・が予想できる。
で、必ず同じ事が毎年起きるわけではないから、継続は力なり・・となるわけだ。
行きつけの店の中に自分より年上の店は無い。
スタッフでも、私より年上の人は少ない。
だから・・・というワケではないのだろうけど、
その店のマスターと話をする事が楽しくなっている傾向は確かにある。
私は見た目が若く見えるため(格好が若い=子供っぽい格好?)同年代と思われる楽しさもあったりするが、
一人で理想を追って起業した人達の肝の太さを学ぶ事が何よりも楽しい・・と思えるのだ。
店は、客によって造られる部分は、ある。
店が客を誘い、客が客を呼び、客が店の空気を作り、店はその空気を育て上げていく。
ストラーダは、多くの若者達に支持されているようだ。
若者達の騒々しさが嫌いで、その手の客層が集う店には足を向けない私にとって、
今日の騒がしさは、少しばかり苦手で苦痛でもあった。
しかし日頃のストラーダでは、そんな客層であっても耐え難い事は希。
それこそが、幅広い客層を得ている彼等の力の証明でもあるのだろう。
カウンターという板を挟んでのコミュニケーションは、複雑なバランスの上に成り立つモノ。
空気も間合いも読めないウチは、単なる下品な客の域を脱する事は不可能に思える。
その「読み」を覚えたくて、楽しみたくて、カウンターに座る事を大事にしてきたのだが、
いつの間にかその経験が積まれて、他人の仕草にも気が向くようになれたのだろう。
こっちは客であっても、出してもらう側でもある。
だからこそ、1対1の付き合いがその瞬間瞬間に生まれ、
ある部分で同等のコミュニケーションも作れるのだ。
回りがうるさく、バーテンダーは仕事に追い回されて、勝手に飲んでおいてくれ・・・
といった感じになってしまう店は、どんなに流行っていても行く気にはなれない。
コミュニケーションの無い店で一人きりで飲む位なら、家で飲んだ方がマシ・・だからだ。
ま、カウンターに好んで座れるようになっただけでも、
通った甲斐がある・・というものかも知れないが(^_^;)
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