事故を起こした時、例えば道路に投げ出されて考える事は、
どれくらいのダメージがあるかの確認と、それによってこれから被るハンデの大きさ。
そしてそれからの人生の事・・・・。
たぶんそれは事故などによる身体的危機に慣れてしまった・・という事だろう。
昨日も、明らかに身体がおかしい・・と感じながら、どっか冷静に自分の事を観察していた。
今、何ができるか・・・
今、どんな状況なのか・・・
他に変なところはないか・・・・
そして、第三者として今の自分を見た時、どう見えているだろうか・・・・と。
昨日の夜は、結局またあの症状が出て、布団に潜り込んで寝てしまった。
だから今朝、目が覚めた時の自分の状態が恐かった。
何かが身体に触れるだけで、目眩による錯覚との差が大きく感じられ不快だった昨日。
その状態がもしそのまま今朝も続いていれば、これは簡単に直るものではない・・・と思うべきだろう。
しかし、少しフラフラはするものの、世界は回ってはいなかった。
今日は月曜日。
会社に行かなくてはいけない。
コレくらいで休むわけにもいかない・・と、いつも通りの筋力トレーニングで身体を起こしにかかった。
あれ・・・
世界が左に流れていく・・・・
昨日は後ろにひっくり返る感じだったのに、今日は右に倒れるのかよ・・・
私はどうも前後方向より左右方向の視界の変化に弱いらしい・・・
しかし昨日でこの変な目の動きには慣れている。
試しに立ち上がってみる事にした。
(要は、目による錯覚と身体の触覚との差を想像力で埋めればいいのだ)
人間は無意識に立つ事ができる。
しかし、意識的に無防備に倒れる事には慣れていない。
現実的には立っているのに、視界と重力を感じる向きはグルグルと繰り返し右から左へ回転している。
だからその向きにあわせて身体は右へ倒れ込んだ。
何度かトライすると、立ったまま左に強制的に倒れ込むような力を足に込める事で
どうにか歩行はできるようになったのだが、その錯覚と現実との差が車酔いのような状態を生んでしまう。
これでは会社に行くどころではないな・・・・
(歩く事も難しいし、何か物を考える余裕も無い)
で、出社を諦め、会社には状況を報告し休む事にした。
ストレスによる目眩
メニエール病
脳血管障害
神経障害
過去、度重なった交通事故の後遺症
考えられる原因はいくつか思いついた。
が、そんな事を考えても今は何の役にも立たない。
身体は何でもなく目眩だけが起きているから、眼球のコントロールができないだけだろうが、
一歩足を前に出すのにも凄い努力が必要で、立ち続ける事さえ厳しいのは半端じゃない。
以前、地面が揺れるように感じたり、低音の耳鳴りがするので医者に行った事があるが、
それは全て心因性(ストレス)によるのモノだ・・・と説明を受けていた。
だから今回もその心因性によるモノの可能性が高いと想像するが、それ以外の事も無いとは断言できない。
が、歩く事ができない以上、自力で医者に行く事は不可能だ。
目を瞑って冷静にそれ以外の症状が起きていないかチェックをするが、
自覚症状がまったく無いので、一日安静にしても症状が緩和するかどうか観察する事にした。
昨日当たり前にできた事が今日できないって事は、ある。
そう何度も言ってきたのは、次の瞬間に死が訪れる乗り物を好んで乗ってきた私の持論だ。
今回、「歩く」という当たり前の行為ができない事態に陥って、
冷静に「この後どうするか・・・・」と考えられる精神構造が出来上がっているのを感じられた。
まぁ・・・こういうのもあるんだろうな・・・・と。
そしてまた、意外に悔いが無い事にも気がついた。
色々な経験をし、色々な出会いと別れをし、
そしてその都度精一杯に走ってきた・・・と気がつけた。
その上、今もまた、日々新しい出会いと経験を重ね、
精一杯自分らしく悔いを残さないように生きている事も。
これでこのまま死んでしまう・・と考えても、そう考えられる自分がいる事が幸せだ。
後は、生き続けなければいけない役割が残っていれば、身体は必要な機能を取り戻すだろう・・・と考え、
目を閉じたらまた、深い眠りに落ちていった。
腹減ったなぁ・・・・・
と目が覚める。
身体も頭もどんよりとして元気が無いが、今の時点では世界は回っていない。
よし!今だ!!・・とトイレに駆け込み、担ぎ込まれても恥ずかしくないように身体を洗い、
踏み込まれても見苦しくない程度に部屋を片付けてから、飯を食いにでかけた。
明日、歩けたら、医者に行こう・・・・と思いながら。
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