深夜にバイクに火を入れる。
エアクリーナーを改造した結果、チョークを引かないと始動できなくなっていた。
昼間ならセル一発でかかるエンジンも、何度かのクランキングでどうにか目覚めようとするだけ。
バスバスと不機嫌な咳き込みをみせてグズリ、そして爆発音と共にやっとの事で始動した。
圧縮比が上がったピストンらしく、排圧も派手な排気音が爆竹のように木霊する。
そして大好きな吸気音も負けじとその存在を主張した。
実は、覚悟を決めねばならぬ事があった。
それは、「背負う」という覚悟だ。
最初からそんな覚悟はできているのだが、
私自身が、どっかで「出たトコ勝負」の楽天的な考え方に甘えていた事を知っている。
だが状況は過酷で、そのような甘えを許す猶予は無かった。
「それが役割だ・・・」と己に向かって呟く。
そしてその覚悟を身体でも確認したいがために、
深夜にわざわざバイクに乗ろう・・と思ったのだ。
楽しむためではなく、ダレてきている五感をリフレッシュするため。
そして、その全てを敏感にし、無になって考えたい・・・ためだ。
答えなんて、実はわかっている。
感情を無視すれば、答えは機械的に結果を出すだけだ。
だが、感情はそれを拒む事が多い。
そしてその感情は、やっぱり己の生き方に全て返ってくるモノだ。
だから、感情と信念を並べて考えたかった。
「騙される奴が間抜けなのさ・・・」と言う奴がいたが、
「騙されても誰かがその結果、楽になれるのなら良い・・・」と思っている。
そして私自身が誰かを騙す事なく生きていれば、私はいつも幸せだ・・と思える。
利用される事は嫌いだ。
利用される事は悲しい。
だから利用されても気がつきたくないし、
それが解っていても自分で納得できる形であればいい。
しかし利用する側の中には、利用される人間の気持ちなんて考えもしない奴がいるのも事実だ。
そしてそれを想像する時点で、私は感情の支配に負けそうになってしまう。
第2京浜をいつもより遅い80マイル程度で流す。
風は冷たく、熱くなりがちな頭を冷やしてくれるが、
ミニカウルのお陰で身体はちっとも寒くない。
背中を見て追ってくるバイクも少数いたが、見物に来るだけで絡んではこなかった。
併走して走る車の間をかなりの速度差で抜いてゆく。
見切りを間違えたり、コチラのラインがブレれば即、アクシデントになる行為だと知っていても、
そうやって走っていくのはいつもの事だ。
その瞬間、行けるコースは一本だけとなり、それが見えれば後は行くか行かないか・・・の決断だけ。
そして私は、そこを行くのが私の走り方だ・・と知っている。
行くか・・・?
行かないか・・・・?
行くのがお前の生き方なんだろ?
何を悩んで、何を考えて、ただただ時間を浪費する「躊躇」をしているんだ?
そう、
この感覚を思い出したかったんだ。
そう、
自分はこうやって生きてきたんだ。
どうやらバイクという乗り物は、私にとっては自分の心を映す鏡でもあるらしい。
気がつけば、大げさに考えていた意識は消え、自然体に戻っている自分がソコにいた。
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