人に気持を伝える事は難しく、そのために使う言葉は時として思わぬ凶器となって飛んでくる。
自分ではそういうつもりで喋ったわけではないのに、その言葉だけが一人歩きすると、
それはその都度フィルターがかかり、意志を吹き込まれて、そして違う言葉に生まれ変わるようだ。
ちょっと退いて考えてみれば、本来私が望んでいる事では無い・・・という事がわかるはずなのに、
その事象だけが真実としてしか見えないが為に、望んでいない方向を望んでいるかの如く話は進行する。
そしてソコには、最終的に投げかけられ言葉に傷つき、悲しんでいる者を生む・・という現実に打ちのめされていた。
私は、話をする時、1対1で、その人間を信頼して話をする。
そしてその言葉が特定できる誰かの個人的な事についてのモノの場合、
その扱いは慎重にされるだろう・・・と勝手に信じていた。
しかし・・・
その言葉尻は、うまくソレを語る人間の為に利用されてしまう。
当人が居ない所で、その人間の言葉を語る恐さを、今更ながらに思い知った。
誰かが見ている時にだけ、いい顔をする事は容易い。
誰かが見ていない時に、毅然として生きる事こそが素晴らしいと思う。
だから、私はそうやって生きてきたつもりだったが、
それでも言葉は漏れ、そして誰かを傷つけた。
仕方がない。
自ら吐いた言葉だ。
その行為を取り繕う気はない。
そして、結果的に傷つけた事は、素直に謝った。
願わくは、私の言葉は、私の口から出たものだけを聞いて欲しい。
そう思うのは既に、傲慢と言うべきなのだろうか?
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