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Malt Crazy
道楽もほどほどに
日記的雑感
 
 

禅問答

空手家の人と飲むチャンスがあった。
彼は、現在有名な流派ではなく、真に実戦での能力を追求する流派に居る・・と言った。

勝ち負けは、殺すか殺されるか・・の判断による・・・と言う彼は、
ただならぬ雰囲気を持ちつつしかし、何故か悩みを持っているようだった。

こっちにしてみれば、解らぬ世界。
そして、かみ合う事のない会話を無理してかみ合わせる義理も無い。

バーでの話は、だから専門的な話はしないのが、暗黙のルールという物。
していい専門的な話は酒にまつわる事ぐらいであり、バーテンダーというプロには教えを請う位で丁度良い。


「私、自分は病気じゃないか・・と思うんですよ。」

「私は自分自身はオカシイと思っていますがね」

「角を曲がる時、誰かに襲われるんじゃないかと思って、つい大回りをしたり、
 混んでいる道を歩くとき、自分の間合いに入って来る人間を殺せたかどうか考えたり・・・」

「どうしてそこまで考えるのですか?」

「だから病気だ・・と思うんです。
 夜も寝ながら誰かを殴っているようで、誰も私の横には寝られないんです。
 で、女もできない・・・・」

「そこまで自分自身を研がなくては生きていけないんですね?」

「コレが無くては、生きていけないんです」


重症だ・・・
久々の・・・・

年齢を聞けば、まだ30代半ば。
バーで深夜に聞く戯れ言としては、少々重い話題だ。

こんな場合は相手にしないのが流儀だが、つい言葉がついて出た。


「たぶん貴方は、今まで自分の技術を磨きみ磨いて完成させ、
 そして今、自分探しのために壊して再構築するために、のたうちまわっているのでしょう」

「どういう事ですか?」

「例えば貴方は、人間を殴ったり蹴ったりする瞬間の感触を気持ちよい・・と感じていませんか?」

「いや・・そんな風には・・・」

「では何か、気持ちよい・と感じている事はありませんか?」

「相手が崩れ落ちる時・・・ですかね」

「その時の物理的快感は?」

「あります」

「人間の行動は、ある意味『快感』によって引き起こされるのです。
 『快感』には物理的な物と感情的な物があって、それもつきつめていくと
 頭の中では同じ物になるのです。」

「?」

「例えば私は、写真を撮ります。
 私は、私が気持ちよいと目から感じる快感を物差しにシャッターを押します。

 例えば私は、バイクに乗ります。
 自分が走るラインは自然に見え、そこを気持ちよく走るだけです。
 そしてそれも快感によって支えられ、恐怖を一番感じないコース取りを無意識にします。

 例えば私は、文章を書きます。
 文章から得る快感と、文章の配列から見て取る快感に支えられ、
 しかし言いたい事を確実に書いています。」

「私も、組み手の中にそのような快感を持っているかもしれませんが、
 相手の動きに対して自然に動いているだけで、何も考えずに戦ってしまいます。」

「辛いのですか?」

「いや、考えられない・・のです」

「じゃ、何故空手を続けているのですか?」

「・・・・・無いと、生きていけない・・・ですね」

「でも、何か、悩んでいる・・・」

「これで良いのか・・・と」


コレから先、彼とは朝まで語り明かす事になった。


自分で語っていても確認できる事は必ずある。
そして発見する事もまた、自分の言葉の中にすら存在する。

20才で成人し、大人としての訓練を10年して30才。
そしてそこから積み上げた30年を壊して、自分は何者かを探す期間が10年。
それではじめて、自分という人間のサイズが理解できるのだ。

だから、20代は言われた通りに全開で走り、
30代はクラッシュしまくっても走りまくるしかない。

そうすれば、自分はどんなシーンで力が出せ、どんなシチュエーションでクラッシュし、
そのクラッシュさえまた、最小のダメージで切り抜けるられる技術と態度が備わるだろう。

しかしここに、もう一つの帰着がある。

それは「老化」だ。

揺るぎない自分を作り上げたら40才になっていた・・とすれば、
そこには既に「老化」の足音が聞こえている。

だから、40代をまた全開で走ろうとするには、その「老化」と上手く付き合い
自分を修正する事もまた必要となる。


「後10年歳を取った時、貴方はどうなっていますか?」

「考えていません」

「昨日できた事が、今日はできなくなる・・という毎日ですよ?」

「・・・」

「その時貴方は、師範として何を教えるのでしょう?」

「・・・」

「その時の貴方が自分で想像できない歳では、そろそろ無いはずです。
 そしてそれに気づけば、貴方自身が一番望む道を見つける、一つの道しるべになるかも知れませんね」


筋力は40代でも鍛える事によって維持、もしくは増大する事ができる。
しかし、体力自体は徐々に衰え、判断基準としている目や耳などの五感もまた、衰えていくものだ。

だから、たくさんの記憶と経験を残さなければ、想像力すら無くしかねない・・と思うのだ。


私は、物理的な快感と精神的な快感は同種のものだと認識している。
文章で得られる快感と身体で得られる快感もまた、同じ快感だと理解している。

それが40年以上生きてきた一つの帰着であり、私にとっての真理でもある。

偶然出会った名も知らぬ人との禅問答も、たまには自分自身の確認となる事を知った。

 
 
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