「昨日、40センチ級の鰺、釣ったんですよ〜」
「どこで?」
「三浦です(^_^) だから、昨日だったらその刺身が出せたんですよ〜」
「自分で捌くの?」
「いや、私は釣って来るだけで、若いのが店で捌きます」
「仕事と遊びは分けるのか・・・」
「何だか嫌なんですよ・・・、自分で釣ったのを捌くのって」
「じゃ、食べるだけ?」
「う〜ん、釣れる事が楽しいので、食べない・・ですね」
「え? 食べないの??」
「えぇ・・・」
「じゃ、例えば自分で造った料理を、食べてみる事は無いの?」
「もちろん食べますよ。 ちょっと摘み食いしたりしながら」
「ふ〜ん・・・、じゃ、コッチで食べる事ってない?」
「板場じゃなくて、ココで食べますよ」
「そうじゃなくてさ、ちゃんと客席に座って食べてみないの?」
「はぁ・・・客席は・・・・、無い・・ですね」
自分の仕事を客観視する事は難しい。
何も知らない状態で、自分で仕上げた完成品に初めて相対するなんて不可能だし、
そのモノを求める感情になってはじめて見つめる・・・なんて状況を作る事も難しいからだ。
若き板前は、その修業の身ではまだ、自分の仕事を客観視するチャンスに恵まれていないらしい。
厳しい上下関係の中では、そんな形で自分の仕事を見つめる事自体が不可能に近いだろうが、
こんな話を客とした・・・と言ってでも、是非、そんな機会を自ら設けて欲しい・・と思う。
私が若い頃、自分で作った番組を確認する時は家庭用VTRにダビングして家に持ち帰り、
居間でくつろぎつつテレビ番組を観るようにして見ていた。
何故なら、そうしないと客観視できなかったのだ。
スタジオのモニターや会社のテレビで見ても、アラなんて見つからない。
しかし自宅のテレビで見たとき、自分では気がつかなかったアラやミスが発見できたりする。
モノを作る時、それを使う人の立場にどれだけ立てるかで、そのデキが左右するのは誰でも解る事。
料理も製品も同じ事で、ユーザーの意見こそが正統な評価の一端を示している。
マーケッティングなる言葉まで出てくる分析もまた、
ユーザーにとっての魅力はどこに存在するか・・という考察であるように。
最近、カウンター内の人間が、私より若い事も多くなってきた。
だから・・という訳ではないが、全てに通ずるモノの見方・考え方を、事あるごとに話している。
(元々、話好きではあるし・・・ネ)
当然それは直接的な話ではなく、自分自身の失敗話やモノ作りに共通する考え方等が多く、
サービスする側への苦情や意見にならないように気を使う。
それはやっぱり、カウンターを挟んだ1対1の付き合いであるし、
そんな緊張感がまた、ちょっと線を引いた付き合いの面白さでもあるからだ。
そして私の話す事が、聞く人間にとって何かしらのヒントになってくれれば嬉しいし、
私、という客の印象もまた強くなり、常連客として刻み込まれる2次的効果も期待できるのだ(^_^;)
バー等のカウンターに座るのが好きな私は、
常々、カウンターの内側からマンウォッチングをしてみたいと思っている。
それは、客の立場でいる自分を客観視してみたいって願望も含まれての事で、
自分が他人から見てどうか・・・という命題を解く鍵にもなりそうだから・・・だ。
それにも増して、何よりじっくりと観察できる特等席でもあるから、面白くないワケはない。
「不思議なんですけど、カウンターの中で飲むと凄く酔うんですよ」
「街場の店じゃ、客と飲み比べしてる所もあるよ?」
「家じゃ平気なんですけど、何故でしょうね・・・」
「カウンターに座って飲んだら酔わないんじゃない?」
「そう言われれば・・・・そうですね」
料理も酒も、感情によってその味は大きく変化する。
勿論「酔い」も・・・・。
きっと若いバーテンダーは、酒に酔って乱れる自分を知っているのだろう。
だから、感情的に「酔う」という錯覚をする事で、無意識にブレーキをかけているのだ。
無意識に自らをコントロールできるようになって初めて、一人前に仕事ができる。
それは基本であり、誰でもできる「初めの一歩」だ。
だが彼は、それを無意識にできている事には気づけていない。
だからまだ、自分を構築している状態だと思っていい。
自分ブランドを確立するには普通、10年という経験とさらに10年近い自分探しの研究が必要となる。
希に、その二つを同時に出来てしまう天才もいるが、遅い人なら20年以上かかるのが普通だと感じている。
若き二人を見ながら、若者が本物に変わっていく風を感じて、少しばかり元気が出た。
最近、忙しくて自分の姿を想像できない。
時間を作る事も、非日常にシフトする事も忘れ、
いらぬ心配や取り越し苦労を重ねている。
たまにはこうやって、視点を変える努力は必要なのだろう・・・・ネ
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