片付け物をすると、色々なモノが死蔵されている事が解る。
たこ焼き用鉄板、シャンパングラス、ウィスキーグラス、ワイングラス、
小皿と器のセット、陶器のビアマグ、丼、カトラリー・・・・。
何かでもらったりしたモノだが、独り身では使わないから・・と棚に入れて忘れる。
で、こうやってタイムカプセルのように、忘れた頃発見される・・・(爆)
器を一つだけ出して、それだけを使っているのは嫌だから、
複数(でも他種類使いたいから2〜3つ)を出しておくのだが、
もらいモノの多くはペアだったりするので、独り者のクセにペアで揃いがちだ。
勿論、皿とかを買いに行った事もあるのだが、なんとなく一枚だけ買うのは恥ずかしく、
2とか4とかの数で買ってしまい、その余りがしまわれているって事もある。
(出しておいたモノは割れて消えてしまっていたりして)
そんなんで、久々に器を眺めてボ〜っとしてた。
基本的に、食器は無地が好きだ。
皿なんかは白が好きだし、丼もゴテゴテしたデザインは嫌いで、
食品が載る部分は色が解りやすい方が良い・・と思っている。
だからグラスは透明が好きで、金属食器は論外となる。
そう言えば実家には、家紋入りの皿が何枚かあった・・・と突然思い出した。
その皿は、何とも中途半端な大きさと深さで使いにくかった事を覚えているが、考えてみれば不思議な事。
家紋入りの皿なんてオーダー品以外の何物でもない。
と言う事は、安くないはずなのだが、どうしてそんな皿があったのか不思議に思っていた。
しかしそれは、大人になって色々な取材をする中で、存在理由が浮かび上がってくる事になる。
我が家の先祖は甲府の出だが、商売をするにあたり横浜に出てきた事は解っている。
その時期は江戸時代とも明治時代とも言われているから、まぁ、生粋の浜っ子である事だけは自信がある。
その頃、横浜は文明開化の風が台風のように吹き荒れ、人々はその変化についていくのに必死だったはずだ。
元町は、その頃から在住していた外国人のために、洋風の物を作る人々が集まった街。
パン・洋食器・洋家具等、外国人が生活の為に必要とした物が、ココでどんどん製造販売されたのだ。
本来食器は、それぞれの家の紋章を付けて作られる物。
テーブルウェアから皿まで、全てはオーダーされる物だったから、
当時の我が先祖が、家紋をつけた皿をセット注文したのは想像に難くない。
元町ではその頃の店が未だに残っていて、家具は注文で作り、食器にはマーキングできるのは当たり前だ。
当時の常識をそれらの店から聞かされて逆に
明治時代の皿をまだ使っていたのか・・・と逆に驚いた事が懐かしい。
行きつけのバーでは、超のつく常連達がグラスキープをしている。
(バーにグラスを置く事は、上客だと認められない限り許可が出ないのが常識)
その行為は、それだけ通っている証であり酒馬鹿道まっしぐらである事を意味するが、
ホテルのメインバーともなると見栄も影響するようだ。
と言うのも、彼等を観察していて気づいたのは、そのグラスがバカラばかりだって事。
それも、あの赤い箱から出されるグラスは揃いも揃って「アルクール」なのだ。
一目でバカラだと解るデザインと重量感は、持つ者にそれなりの満足を与えるが、
常連が並んでいるとドレが誰のグラスか解らなかったりする(^_^;)
どうせ見栄を張るのなら、他人の持っていないモノを持てばいい・・と思うが、
それが可能な位の金遣いをしているのに、彼等はそんな事はどうでも良いらしい。
で、私は?・・・と言えば、勿論グラスはキープしているのだがちょっとばかり珍しい物を預けている。
元町の「タカラダ」で特注して作った、名前入りの物。
バカラに比べたら全然安価なグラスだが、間違いなく私しか持っていないグラスだ。
気がつけば、趣味の物は全て、他には無い物を求めている。
ナイフもバイクもグラスも時計も、売りっぱなしの物はあまり無い。
コストはある程度かかっても、例えば名前が入っていたり例えば一部分を違うパーツに換えたりと、
自分の美意識の中で合格点が出ないと嫌なのだ。
そして、コストパフォーマンスが良くないと嫌・・・でもある。
これが私にとっての贅沢の考え方だが、結果的に安上がりで良い・・と思っているのだが・・・。
使われずに忘れられていた食器を見て、使う事を考え出している・・・・が、
まずは、掃除から・・・・だな(爆)
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