「モノを伝える場合、一人一人に伝えるより、大勢に一気に伝える方が、実は楽なんだ。」
「何故ですか?」
「だってよぉ、一人一人に細かくその人間に通じる言葉で話してたら、時間かかるばかりだろ?
大勢に伝えてしまえば、解って無いヤツは周りが教育するんだよ。」
「それでは、方向がズレたりしませんか?」
「そんなものは、的確に簡潔に伝えればすむ事だ。
それより時間の問題の方が大きいんだ、わかるか?」
そんな会話を交わす人達が横に座っていた。
上司と部下の関係のような二人だが、どちらもそこそこの年齢に見える。
飲み屋でありがちな会話だが、恐ろしいほどの真理がそこにあった。
その言葉の強さがぼ〜とした頭に響いた途端、何かのドアが開いたような気がする。
それくらいの衝撃を感じた。
常々悩んでいる事がある。
どうしたら、意思をうまく正確に伝えられるか・・・という事だ。
言葉はどうしても聞く人間と話す人間との間にズレを生む。
文章になればその傾向はさらに大きくなる。
だから、言葉を補う何かが必要だ・・と思っている。
そして私の場合は、それが映像だと解っている。
表情も画像も含め、目に訴える映像が、必要だと。
彼等の話は、私が相手にする人数とは違う規模の話らしい。
でも、周りの人間を信じる考え方・・・というのは、一つの素晴らしい方法だと思える。
伝えた意味を理解する人間が、理解できない周りの人間をそれぞれ理解に導く・・と信じるのは、
その全体を信じていなければできない事。
そこまで、信じきる集団を率いている事は素晴らしいが、
信じられる集団である事も、信じられる彼の肝の太さも大したものだ。
そして彼は、その集団から信じられている・・という現実もあるのだろう。
集団を管理しなくてはいけない立場にいて、常にその集団を信頼しつづけてきたが、
私自身は彼等から信頼されているかは解らない。
だから、その方法論は私にとって解りやすく、実行しにくいもので、
その方法を採れる彼は、魅力的でかつ、目標となりうる人だろう。
これだから、酒場でのマンウォッチングはやめられない。
ご教授、ありがとうございました。
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