10月8日 飛天双○能
宝生能楽堂
演目
狂言「附子」(ぶす)
能「殺生石」(せっしょうせき)
大鼓独奏「獅子」
13ヶ月に一回、8の日に行われてきた飛天双○能も今回で10回目を迎えた。
この催しを見るようになってからと言うもの、随分と能・狂言との付き合いは深くなった。
「邪道の中の本道」目指していた大倉正之助は、勿論我がMC KENTAUROSのメンバーであるが、
能の世界においては重要無形文化財を保持する類い希なる奏者である。
その彼が二つの輪を意味する(バイクの事)双○という名をつけたこの会には、
過去、随分とバイク乗りが馳せ参じたものだった・・・・・
会社を早めに飛び出した・・とは言え水道橋は結構遠い。
電車を乗り継いで駆け込めば、開演の15分前だった。
相変わらず宝生能楽堂の入り口にはバイクが並び、双○能らしい雰囲気が漂っている。
メインスポンサーとなったヤマハのディスプレイもあったりして、随分お洒落な感じに設えてあった。
仲間達はいるか・・・と見渡すが、知った顔は殆ど見えない。
どうやら、チケット争奪戦に負けたようだ・・・・・
と言うのも、正之助のもの凄く幅広い活動と数多くの露出のせいで、
人気が人気を呼んでチケットは飛ぶように売れてしまうのだとか。
確かに私も、飛天事務所からのお誘いでやっとの事で補助席を買えた・・という状態だった。
会場に入って驚いた。
席は満席で補助席を出して対応しているが、さらに立ち見がいる。
それも子供達が・・・。
どうやらNPO「子供と生活文化協会」が呼んだ小田原の子供達のようだ。
正之助は5年前から彼等に稽古をつけている・・・・はず。
だから多分、その子達を招待したのだろうが、この人気故に立ち見を余儀なくされてしまったのだろう。
そしてそれは、残念ながら私にとっては迷惑な事態も引き起こした。
1時間以上の催しに休みも無しで立ちっぱなしだから、元気な子供達でも当然疲れる。
だから、身体を動かしたりするのは当たり前で仕方が無いが、
私は通路に置かれた補助席に座っていたお陰で、その動きによる接触を何度か受けてしまった。
(頭や肩に何かをぶつけられ事、数回)
これは、普通の席と変わらない金額を支払っている方としてみれば、少なからず腹が立つ。
能は、見るだけのモノではなく、音や空気を感じる事も大切だ・・と思っているから、
感度を上げている時の接触はたまらなく不快になる。
そしてまた、本物を見せたい・・という事での招待でも、誰にとっても声も出さず動きもせず・・・
で一時間以上の起立を強要せざるを得ない事は、ちょっと間違っているのでは・・と感じた。
(立ってみていた子供達が、可哀想に思えた)
能・狂言は、見る機会がとても少ない物。
そしてそれは、熱狂的ファンによって、独占されているような物。
だから、子供達に見せる意義は確実にある。
それだけに、今の能・狂言のおかれている現状が残念な形である・・と言わざるを得ない。
正之助の大鼓は、随分上品な音がした。
満月の浜辺で聴く音よりも、軽い音がした。
音は、その時の奏者と、聴く者の心によって響きが変わる。
だから今日の音は、私にとってか彼にとってか、少しばかり不本意な乱れがあったのだ・・と思う。
何かに対する「迷い」
それがどちらかの心の中に大きな存在としてあった・・という事か・・・
何となく割り切れない気持で外に出ると、宝生能楽堂のすぐ前に丁度良い飲み屋があった。
「つきじ植むら」水道橋店
03-3818-8806
文京区本郷1-4-1全水道会館1F
11:30〜15:00(最終入店14:30)
17:00〜22:00(最終入店20:30)
定休 日・祝
いつも、素通りするこの店に、何故か飛び込んでみたくなる。
「植むら」と言えば会席料理の名店だから、
いつもは入ろう・・という気が起きなかったのだが・・・
思い立ったが吉日・・・とばかりに飛び込んでみて、驚いた。
こういう店だったのか・・・・・と(^_^;)
串焼き盛り合わせ(手羽・かしわ+玉葱・つくね・長葱・ししとう) 600円
ざる豆腐 500円
三味膳(鉄火丼・天丼・蕎麦・香の物・味噌汁) 1500円
なんかメチャクチャ安くないですか〜?
という感じがする。
菊水(700円)を冷やでいただきつつ料理を待つと、素晴らしい量の串焼きが出てきた。
おぉ・・と驚く間もなく、直径12センチはあろうか・・・というざる豆腐が・・・・
なんか、これだけでもお腹がいっぱいになるかも・・と思いつつもしっかりいただいたのだが、
ここは「つきじ植むら」という名前のちょっとまともな大衆居酒屋であった・・と理解できた。
今日は、どこかにある自分の中の「迷い」に気づき、「名前」という「表面」に惑わされていた自分を発見した。
何事も「基準」が大切だが、その「基準」は「経験」によってしか培われない。
だからこそ「経験」を重ねる事が大切だし、「記憶」として、また「揺るぎない物」として、
しっかり持たなくてはいけないのだ。
大鼓の音の聞こえ方と、名前だけ名店の味わいとを、同時に経験したのは偶然ではない。
きっと今日は、「お前は何処にいるんだ?」と考える日だったのだろう。
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