偶然の遭遇が、突然過ぎ去った過去を蘇らせる事は、ある。
それは自分が意識していない記憶の断片で、しかも記憶を封印した鍵のような物でもある。
バーの窓ガラスから外を見ていて、その明かりの中に浮かんだ人にどきっとした。
ここにいるワケは無い。
そう思ってシッカリ見れば、やはり人違い。
そう、アイツがそこにいるワケはない・・・。
歩く道が見えない時はお互いの記憶の中からその方向を探り、
いくつもの分岐点を同時に同じ方向に向く事を確認し、
共に命を分け合って同じ道を歩いた。
その間にいっぱい共有した何かの感触は、
例えばこんな瞬間に、その時の感情も感覚もリアリティを伴って蘇ってしまう。
でもそれは仕方が無い事。
生きる事を共有する・・という事は、
そういう重さが存在する行為だから・・・・
飲みすぎている・・・のではなく、
忘れてしまう事を身体が拒否する行為によって引き起こされるように感じたが、
すぐ、店の喧噪で現実に呼び戻された。
バイクに乗っている時蘇るのは、死にそこなった経験や誰かと一緒にいた記憶。
そして風の匂いや空気の粘度。
車に乗っている時蘇るのは、誰かの掌の暖かさや流れる色の感触。
そして街を歩けば・・・・
失った悲しみを乗り越えようと色々な方法を取っても、
二度と帰らない・・と知っていても、
心と身体に刻まれてしまった記憶は、
自分が生きている意味さえ問うように蘇る。
そしてその度、何故こうやって生き残っているのだろう・・・と、思うのだ。
そんな時、心を穏やかに落ち着けないと
心は確実に身体を傷つける。
酒もスピードも何の役にも立ってくれないから、
穏やかに過去の記憶が現実に溶け込んでいくのを待つしかない。
|