サイト内検索
AND OR
Photo Essay
Text Essay
Desktop Gallery
Guestbook
Malt Crazy
道楽もほどほどに
日記的雑感
 
 

プレス・ラン

「お〜い、乗せてくれるってさ」

「本当かよ? プレスランだから、外から撮るだけって話じゃなかったっけ?」

「大丈夫だってよ、ヤツはランチアチームと仲がいいからな」

「例によって『ノープロブレム』かい?」

「そうそう」

WRCのプレスデイには、撮影を兼ねた練習会がクローズドコースで行われ、
プレス登録を済ませたクルーは好きな所で自由に撮影が許されていた。

勿論コースはグラベル(砂利混じりの土の道路でその日は雨が降っていた)で、
ちゃんと計測ポイントを実戦と同じように設け、一応タイムも取っているらしい。

86年はグループB最後の年となる事もあって、その化け物マシンを取材する事には意義があった。

そして日本人が挑戦するには都合の良いイギリス(左側通行)のRACラリーには、
私達がメインで取材するイスズチームの他にも、三菱チームが日本メーカーチームとして参戦した他、
プライベーター参加の日本人も若干いた。

全日本戦の参加から海外仕様車の制作、
そしてWRC(ワールドラリーチャンピオンシップ)への参戦をメインに、
ラリーという競技を紹介する正月特別番組を制作するべく
私は86年の半分をそのために費やし、最終目標地のイギリスに居た。

コーディネーターはモータースポーツジャーナリストも兼ねている人物だったが、
とにかく『ノープロブレム』が口癖な位の楽天家。
そして、人なつっこい笑顔でずうずうしい取材をこなし、我々にも良好な撮影ポジションと提供してくれていたが、
まさか競技車両への同乗取材の許可が出るとは想像していなかった。


ノランのフルフェイスを渡され、ソニーから支給された8ミリビデオを持たされる。
そしてナビシートを空けて待っていてくれたのはNo.3ドライバーのエリクソン。

片言の英語で挨拶をするが、彼自身もあまり英語は得意でないらしい。

ニヤッと笑っただけで、身振りでフルハーネスを締め上げろ・・と伝えてくる。
ウィランズの6点式シートベルトをこれでもか・・と締め、メカニックに確認してもらってから
8ミリビデオカメラを受け取ったがヘルメット越しではファインダーが覗きにくかった。


バン・・と軽い音でドアが閉まる。

スーパーチャージャーとターボチャージャーによるハイブリットエンジンは470馬力と言われ、
フルタイム4輪駆動で軽自動車並の重量に作られたボディを暴力的に加速させる。

そんな事はデータとして、そして疾走する姿からだけは理解していた。

ギューンというギヤ鳴りを大きくしたような音(スーパーチャージャーの音)が室内を満たすが、
ミッドシップに積まれたエンジンが耳の後ろ数十センチに存在しているのだから当たり前か。


「3・2・1・Go!」

ドン!

目の前を覆っていたスタートフラッグが振り上げられた瞬間、かつて経験した事のない加速が押し寄せた。

4輪が空転しながら加速する。
後ろから蹴飛ばされたような加速ではなく、
巨大な重力によって前に引っ張られるような加速だ。

車両は左右に向きを変えながら、上下に飛び跳ねた。


ガッチリと食い込む程強くシートベルトを締めろ・・と言っていた意味が解る。
そうしなければ、どっか捻挫する位の振動だ。

勿論、ファインダーなんて覗く余裕は、殆ど無い・・・

エリクソンが2速にシフトアップした時、私もファインダーを覗きながらの撮影を断念した。


右側に構えていたカメラをレンズの方向を変えないようにホールドしながら左側に持っていく。
そして振動をできるだけ与えないように両手をクッション代わりに使う事だけを考えた。

ポンポンポンとシフトアップしていくドライバー。
どのギアでも流れっぱなしのボディをステアリング操作だけでコントロールしてしまう。
緩いコーナーを回って長い直線を迎えると、彼はあっという間にトップまでギアをアップした。

左の肩あたりに両手でカメラを抱えているから、目の前に邪魔物は無い。
フロントウィンドウからの景色は、今まで体験した事の無い速度で流れていくのだ。


この速度で落ちたら、死ぬかもな・・・・

そんな考えが浮かんでくる。
しかし、ファインダーを覗いてないカメラがどんな映像を記録しているか・・の方が、気になる。

どうみても220km/hは出てるだろう・・と目算しているとコーナーが見えた。


ドン・・とブレーキがかかる。

こんな前からスピード落とすのかよ・・・
プレスが乗ってるとしても早すぎるだろ・・・・
と思うが、コーナーはみるみる近づいてくる。

そこまでスピード落とさなくても・・・と感じた時、彼はステアした。

次の瞬間、信じられない状態に陥る。

コーナーのかなり前で真横を向いたランチアは、
そのままドリフトしながらコーナー向かっていくのだ。

何でこんな遅いスピードで直線ドリフトできるんだぁ・・・・?

遅いのではなく、その前の直線が早すぎただけ。
彼は、プレスが乗っているから、茶目っ気を出して直線ドリフトを見せてくれただけだった。


イギリスの道路は、日本の1.6倍のスピードで動いていた。

それだけでもスピードに対する感覚はの違い大きい・・と感じていたが、
戦闘速度の差はあまりに大きくかけ離れていたのだ。

レベルの違いを感じる事は、進歩のスピードを上げる力になる。

素晴らしい技を目の当たりにして初めて、自分の力不足を実感できたりする。
だから、能力を高めるには、素晴らしい物を味わう必要がある・・と思うのだ。

ダートの高速走行に自信を持っていた私は、
彼の運転に同乗する事でレベルの違いを思いっ切り味わった。

そして、どこかで燻っていた競技への夢は、
その時を限りに綺麗に消えた。


また偶然にも、仕事でイギリスに向かう事になった。

それは、こんな体験を蘇らせてくれる事にもなった。


町中をマイル感覚で走れるようになったのは、間違いなくその時の渡英経験のおかげ。
フィッシュアンドチップスも、黒ビールも、本場の味を知っている事が一つの物差しになっている。

だから、その時学んだ色々な事が、
今どのように変化しているかが楽しみだ。

そしてそれは、新たな物差しとして私の中に、宿るだろう。

 
 
サイト内の画像・テキスト等の無断利用・転載は禁じます。
Hisashi Wakao, a member of KENTAUROS all rights reserved. / Web design Shigeyuki Nakama
某若夢話は横浜飛天双○能を応援しています。