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Malt Crazy
道楽もほどほどに
日記的雑感
 
 

恥を知れ

土砂降りの雨、稲妻が走り雷音が轟く。

久々にオフを取ったが、夕方には約束がある。
そして外は、狂ったような雷雨で荒れている。

2000年に広島に行った時も、こんな雷雨に翻弄されていた・・・。


答えの出ない問いに苦しむ人々に、少ない経験から自分だったら・・という例を与える事は、
ある時は自分の過去を切り開き、ある時は相手の立場を想像しても埋められない事実を思い知る。

広島へのひっかかりは、86年に芽生えて2000年に一応の収束を見たはずだが、
International Society for Educational Information(http://www.isei.or.jp/)のページに
その時撮った写真が載ったのを見てまだ心に残っている・・・と気付かされた。

人を力で動かす事、全てを無視して強引に動かす事に対して、恐ろしく腹が立つ事と似た気持。
それは個人を尊重しない、個としての人間を認めない、傲慢で自己中心的な論理の押しつけを憎む気持だ。

その気持は、人類共通の感情なのではないのか?
と、いつもどこかで誰にでも問いかけている。

しかし今日も、どこかで紛争は続き、国家の意思や民族の意志などがぶつかりあって、
武力による破壊活動は止む事を知らない。
悲しむべき事だが、人間は好戦的な動物としての一面を捨てきる事はできていない。


夜、雷雨が明けて乾きだした道を、
ノーヘル2ケツの暴走族が我が物顔で走り回っていた。
何故だか知らないが、菊の紋を刺繍した特攻服を着て、
鉢巻を締めてスラロームしている。

その姿を見た時、その紋の元に自らの命を賭して国を守った先輩諸氏を愚弄しているように感じた。
瞬間的に怒りが湧く。
そして、奴らにむかって叫んでいた。

「恥を知れ!」

彼等が、反社会的行為でのみ自己実現ができない生き方をするのは、勝手だ。

日の丸や菊の紋を使うのは、どっかで軍国主義者の持つ武力にあやかりたいのか、
単なる「虎の威を借る」行為なのかは解らない。
だが、自分達の象徴に、菊の紋を使っている事が許せない。

それは
「国のために」という言葉を「愛する者のために」と言い換えて戦った人達に対して、
あまりに失礼だと思うのだ。


紋も旗も、看板と同じ。
その看板は、大きくなればなるほど、多くの人々に支えられているものだ。

自分達の看板としてどのようなマークを使っても良いとは思う。
しかしそのために、使われているモノを真似たりパクッたりできるのは、
結局自分自身の生き方に誇りを持っていない事の証明だ。

そしてそれを「恥」と言うのだが。


8月に入ると、どうしても戦争の事を意識する。
そして、愚かな行為の代償はあまりに大きい・・と、再確認する。
(それが例えば、広島行きだったりする)

何事も、足元を確かめる行為は大切だ。
だからそれは、私は日本人だ・・と意識する上で、私の中では大切な事になっている。

 
 
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