ファッションは回っている・・と解っているけど、
ここまで来たのか?と感じたのは「ハマトラ」流行の兆し。
テレビ辺りが特集を組むのは、70年代ファッションの後に来る流れを意識しているのだろうけど、
コッチにしてはあまりに懐かしい形に見える。
フクゾーのトップスは、ワンポイントマークが右胸につくのが特徴で、
当時流行った「マクレガー」「トロイ」「クロコダイル」等の左胸ワンポイントと差別化を図っていた。
「これは横浜にしかないんだゼ・・」と嘯くナンパ野郎も結構いたが、
タツノオトシゴのマークは確かに横浜オリジナル。
小娘と同じマークのポロシャツなんて着れるか・・とポーズはつけるものの、
横浜ブランドとしてしっかり記憶していたのも事実だった。
もっとも、「ミハマ」の靴や「キタムラ」のバッグは、さすがに紳士物が無いのでノーマーク。
取材で話を聞くまで、木型をずっと保存する正統派の靴屋だと知らなかったが、
元町の成り立ちを考えれば至極当然の事だと想像できた。
そもそも元町は、山手に住む外国人相手に商売を営む人が多く居たので、
明治からの伝統ある作り方を踏襲している店が多くある。
例えば「TAKARADA」は、家の紋章をプリントした洋食器を揃える商売をしていたから、
現在でもグラスにイニシャルを入れるサービスをやっている。
「竹中」等の家具屋は手作りオーダー家具を揃える・・等、本格的な商売が未だに成り立っているのだ。
20年前の木型が残っている「ミハマ」の靴は、山手の学校に通う女性達のために、
坂でも苦労しない底の薄いスタイルがオリジナリティを持っている。
底の高すぎる靴が流行った後は低い底が流行る・・・・と見るのだろうけど、
果たしてその考え方はどう出るのだろうか・・・と、ちょっとだけ興味津々(^_^)
あのハマトラスタイルが復活する・・・と、懐かしい横浜が蘇る錯覚に浸れるかもしれない。
小僧だった頃憧れたモノ。
横浜らしい・・と誇ったモノ。
それは、物理的なモノより、心情的なモノが多かったと思う。
例えば、
「遊びに行く」なら横浜駅より反東京方向で、
「有隣堂」と言えば、伊勢佐木町の本店を意味する
等、土着特有の意識も含めたスタイル(生き方)が横浜的拘りに直結していたのだ。
横浜の場合、○○は彼処・・といったチョイスが多く存在する。
店のチョイスでなく単一商品のチョイスから店を選ぶ・・・のは、
ハマッ子独特のスタイルとなっている。
食べる物も飲む物も、着る物から持つ物まで、それぞれに求める店が違うのが横浜通だから、
「こんなモノが欲しい〜」とか「あんなモノが食べたい〜」と言われて店を選べないのは恥になる。
今は情報誌が多く存在するから、それをチェックして記憶していれば流行りモノは答えられるだろうが、
オーソドックスなモノをきかれると簡単にはいかない。
その上、耳学問で知識を持っていても、実戦で役立たなければさらに恥ずかしい・・・・。
ただ、そんな恥の感覚を持っているのも昔気質のハマッ子だけだから、
実はちっともバレないで済んでしまう事も多いのだが・・・(爆)
観光地のクセに、歴史がある事を良い事に常連客を重視する横浜。
オリジナル・ワンだけを求めて何度も通う客を大事にするから自然にそうなったのかも知れないが、
アクティブに動ける人間しかエリアを広く持てない弊害は確かにあって、
しかしそれをも「横浜らしい」という言葉で片付けてしまう気質が、憧れの対象を産み続けてきたのだろう。
ハマトラ
本当に横浜のトラッドを設定しようとしても、男に当てはめるのは難しいかも知れない。
だってハマの男は、いい加減さと拘りを兼ね備えた港町らしい乱暴者。
そんな男がハッタリと決め事用に着るトラッドは、ガチガチのトラッドしか有り得ないと思うからだ。
カジュアルならいくらでもできそうだが・・・と思っていて、思わず笑ってしまった。
確か、「ハマカジ」って言葉もあったゾ・・・・・・・と(^_^)
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