人は、どんな時「寂しい」と感じるのだろう・・・?
それは、自分の居場所が無いと時だろう・・
と感じるような事が、ここのところ続いている。
浮き世の義理で年輩の人達と酒宴を囲んだり、誰かの相談を受けたりしていて思うのは、
自分はその場に必要無い・・と感じる瞬間が一番「寂しい」と感じる事。
若い頃は、誰の世話にもなりたくなくて、自分の生き方を曲げたくなくて、
どこでも誰かとぶつかってばかりいた。
その行動の元になっていたのは、
「誰も、俺の人生の厳しさや辛さなんて、理解できない」
という想い。
でも、そんな事は当たり前。
他人と自分を比べても、状況は何も変わらない。
他人より「マシな人生」を送りたいと思っても、その「マシな人生」が何かもわからなかったし、
その時求める事があったとしても、それを手に入れる事が幸せな事だと信じ切れなかった。
頑張った証の贅沢は心地良いが、それとて一歩間違えば自ら孤独を演出する事になる。
誰にも理解されずに生きられるほど、人間は強くできていないように思うのは私だけだろうか?
今日、10年以上企業のトップにいた人と飲んでいた。
彼はその頃「とても恐くて近寄りがたい人」だと思われていた。
命令は厳しく細かく、そして核心を突くものばかりで、下手な口答えは叱責を受ける。
自分の哲学と論理を信じ、譲らずに怒鳴る。
その結果、誰も彼の言う事の本質を理解できずに、ただただ命令に従うだけで、
彼の廻りには誰も居なかった事を覚えている。
ある時彼は、そんな腫れ物に触れるように自分を扱う部下達に対し、
企業体質を変えるべく「仕事の内容を全てモニターできるシステムの構築」を命令した事があったらしい。
その時、イエスマンだった部下達から
「私達にストリップをしろ・・と言うのですか?」
と返された・・・と語る。
それに対した彼の返答は
「恥部は隠してやる」
だった・・・とも。
「人は誰でも恥部を持っている・・・」「私にも恥部はある・・」と語ってくれる彼が、
畏れられながらも大事にされ、そして長きに渡ってトップで有り続けた理由を見たような気がした。
マンツーマンでのコミュニケーションはあまり持てなくても、
会社の舵取りという役を担いながら、常に人間というモノを理解し、部下の気持ちを考えていたからこそ、
彼は確実に支持され、慕われつづけたのだ・・・と気付く。
そして、寂しさなんて感じていなかったろう・・という事も。
恥部・・・・ねぇ
たくさんあるなぁ・・・
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