雷が鳴り響き、土砂降りの雨が降る。
これじゃ、今日の満月は無理・・・かな?
と思って外を見ると、若葉をバックに大粒の雨粒が見えるような降りだった。
先月は取材が重なって趣を異にした満月ツーリングだったが、今日は特に何も聞いてない。
だから久々に走り渡る大鼓の音を味わいたいと思っていたのだが・・・・。
9時20分に携帯が鳴る。
遅いメシを食わないか・・・という誘い。
今日も仕事でメシも食えてない・・というヤツからだ。
じゃ、10時過ぎにVISCONTIで・・・・と伝えて空を見ると、綺麗な月が出ている。
行く・・・でしょ、これなら。
観る・・でしょ、長者ヶ崎で。
浸る・・でしょ、あの音に。
週末に人気が集中するVISCONTIでは、なんとピッツァの生地が売り切れていた。
でも、とにかく腹ごしらえをしたら長者ヶ崎に行きたい。
だから、パスタ&ビールで眠っていた行動力に活を入れ、ヤツを送っていつもの場所を目指していた。
残念な事に、月は隠れていた。
しかし、浜には篝火の準備。
そして正之助を待つ人々が多数。
空を見上げれば、雲のベールを纏った月がほんの少しだけ顔を出す。
そして篝火の廻りに人々が集った。
月を覆った雲の中では雷が時折光る。
雨を吸った砂は柔らかさの中に重さを伝え、風はその割りに湿っぽくなく吹いている。
ハンセン氏病を煩ったゲストが高齢を押して参加した。
目は光りを失い、体力も落ちているように見受けられるが、
聞けば、海に来る事も、浜に下りる事も、大鼓の生を聴くのも初めての事だとか。
病が奪った表情は確かに異形と言えるもの。
それ故その病が忌み嫌われた事は想像に難くない。
病気に対する情報不足と偏見がもたらした差別は周知の事で、
その結果が「初めての海」という言葉に集約されている。
人は、自分と違うモノに対して、本能的に畏れを抱く。
そして恐さ故、排除(差別)に走るのだと思う。
集団として普通とは違うスタイルを取っているだけで、数々の攻撃を受ける事は我々も知っている。
でも、そんな事とは比べモノにならないほど辛い人生を歩んだ彼と、
今日この晩に、一緒の時間を過ごせる事は素敵な事だ。
いつもより遠く離れた正之助は、前回より遙かに通る音を奏で始める。
柔らかいが力強い音は、浜を伝わり、岬に跳ね返り、聴衆の間を転がって遊ぶ。
何だよ、今日の音。
まったくの別物じゃないか・・・・。
月はずっと顔を出さず辺りは暗いままではあったが、そのお陰で今日は音に集中できる。
声も音も、湿った空気のベールを翻しながら走り回り、波の音が伴走する。
優しさ・・・と言えば大げさかも知れないが、大きな気持がこもった空気がそこにあった。
ただ病気に罹っただけで、社会から切り離されてしまった人間の悲しさは伝わって来ない。
初めての潮騒と初めての大鼓に興奮している気持だけが伝わってくる事で、
人間の強さと凄さばかりが心に残ってゆく。
演奏が終わる頃、ポツポツときていた雨が少しだけ強くなる。
彼は、手を取られて砂の階段を、ゆっくり味わいながら登っていく。
そしてそれを待っていたかのように、ボヤッと月がその姿を現した。
それはまるで彼が音に集中できるために・・・と気遣ったように思える。
疲れて、行く気力を失っていたはずなのに、
何故か呼ばれるように長者ヶ崎まで走っていた。
そしてこんな出会いが待っていた。
呼ばれた・・・・な
この空気に。
どうやらまだ多く、
私には出会わなきゃいけない人がいるらしい。
そう感じられただけでも、嬉しい夜だった。
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