「ホームページ作ろうと思ってソフトも手にいれたのに、
何を載せたらいいのか解らなくって、作れないんです・・・・」
そう言われて思う。
何故自分は、こうやって発言し続けるのか・・・と。
あったりまえじゃん・・・と言いかけてやめた。
何故なら、それは私にとっての当たり前で、
そう尋ねる人にとっては理解できない事のようだから。
自分ここに生きています・・・とアピールしているのではなく、
自分のできる事を誰かに見てもらいたい為でもない。
コミュニティの手段としての魅力は大きく感じているが、それが一番の理由でもない。
発表の場としては捉えているが、発表する理由には成り得ない。
じゃぁ・・・何故?
簡単な事。
生き方の問題。
自分の歩き方の中に、
こういったメディアを遊ぶ事が必要だっただけ。
それはきっと、生きている手応えが必要だって事で、
バイクに乗る事も、写真を撮る事も、文章を書く事も、
全ては生きている実感を得るための事、と思っている。
自分はこうなんだ・・・と言いたくても、環境がソレを許さない事は多い。
ワガママに溢れるスタイルは、時として反感を買い排除される事がある。
そしてそれは、社会の中でしか生きられない現実の前に、正義とすり替えられがちだ。
反社会行為とレッテルを貼られてもソレを押し通すには、しっかりとした裏付けが必要だ。
その社会を捨て去る覚悟と、強い意志と、そしてその社会において確実に必要とされるだけの力が。
言い過ぎてしまう・・とか、つい相手を傷つけてしまう・・・とか聞かされると、
自分の気持ちをシャープな切り口でストレートに話してしまう傾向がある・・・と想像できる。
素直に感じた事をそのまま表現して、相手を傷つけない人はとても少ないと思う。
それは、とても相手の気持が理解できる人か、
怒る気にさせないキャラクターの持ち主でしか、為し得ない事だからだ。
私は、思った事を無意識に喋り過ぎて、敵を作ってきた。
反撃をくらって初めてソレに気づき、そして学習する。
そして聞く事で、相手を理解する術を覚えた。
意見を書き連ねる事、
それは自分への叱咤激励かも知れない。
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