ブロードバンドという言葉が随分聞こえるようになって、通信環境が整備されつつある今、
ウェブTV放送が当たり前に見られそうな予感がしてきた。
しかし、こうやって発言していても感じる事なのだが、
現在のウェブ環境においては何らかの規制をかける事は難しい状況がある。
と言うのは、どんな発言をしても、その責任は発言者自体に存在するのみで、
固有名詞を出して誹謗中傷しようとも、偏見に凝り固まった差別溢れる発言をしようとも、
取りあえず発信だけはできてしまう現実がある、という事だ。
放送は許認可事業であり、所謂不適切な発言は許されないのは当たり前で、
公序良俗に反する内容は厳しく規制されているものなのだ。
だからこそ、どっかで公平な目を持とうとしたり、行きすぎを自浄作用で抑制できたりするのだが、
これが個人レベルで放送できる状態になっていったらどうなってしまうのだろう。
文章でさえ、読む人によって印象が変わるもの。
映像と文章の融合した形はより直接的で強い影響力があるから、
受け手側の意識でおそろしく違って見えるのは当然なのだ。
個人名を出し、ある意味誹謗中傷と取られかねない発言をして、
身近な人に読まれて廃止に追い込まれる日記系ページは後を絶たないし、
バーチャルな世界と現実の境が解らなくなって、現実を壊してしまう人もいると聞けば、
その恐ろしさと楽しさの境を見極める必要は、あると思うが・・・・。
私の場合は、ある特定の人を設定して書く事はあまり無く、
現実的な引用はあっても一般的にも当てはまりそうな変換をして人物設定するのは当たり前。
それでも、誤解を受ける事は多々あったりする。
しかし、ちょっと待って欲しい・・・と思う。
今書いている事は、私にとっては日記的雑感であって、個人的見解であって、
マスコミに載せて喋る事とは同じではない。
ところが、読み手はそのパーソナルなメディアに対する考え方に慣れていない・・・と言うか、
マスコミ的見方が身についてしまっていて誤解をするのだろう。
でも、ソレこそが面白い部分でもあるのだ。
マスコミじゃないからこそ、個人的見解だからこそ、言える事はあるのだ。
だからたまにクレームを頂いても、ちゃんと話し合って理解できない場合のみ
削除という形で、対処できている。
これから先、テレビに近い物(動画)を素人が流し出したら、どうだろう。
見えてはいけないモノが見えている物とか、極私的なモノが溢れ出し、
著作権も肖像権も関係なしの無法地帯になるかもしれない。
さぁ、楽しみだ。
個人のモラルのみが規制力として働くウェブは、
さらに魅力を増していくだろう。
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