いつも頑張って生きてきた彼は、
どっかで自分の歩いた道に対しての裏付けを欲しがっていた。
肩書きもファッションも持ち物も・・・・
会社という所は縦社会だから、「肩書き」に対して頭を下げる人は多いが、
その重責や激務についての想像はなかなかしてもらえない。
当然その優遇される点や権力は、上っ面だけを見れば魅力的。
そして社会的にも、それなりの優遇はされるものだったりする。
だから「肩書き」で言う事を聞く人間も多いのは仕方がない。
縦社会においては「肩書き」こそが、頭を下げてきた期間に対する「ご褒美の」ように思えるのだろう。
そして彼は、素晴らしい「肩書き」をもらった瞬間、その態度が一変した。
人と人とが解り合うためには、お互いが相手の立場に立つ事が大切だ。
しかし、上下関係においては下の人間には上の人間の立場は想像できない。
だからこそ、上下関係の中で信頼関係を作るのは難しいのだ。
「武器」を持った瞬間、人が変わる。
車を運転する時、人が変わる。
それは、押さえていた本性が、
自分の能力を超えた「何か」を手にした時に現れてしまうだけ。
だから、運転する時に人間を見ていると、
その人の基本的な性質が想像できる。
「武器」の場合、これは必ずしも道具だけの事を考えなくていい。
例えば「権力」だったり、例えば「金」だったり・・・と当てはめてみればいい。
走りすぎて、胸を張りすぎて、下がどんどん離れていく。
その距離感が孤独感に繋がりだした時、それを埋める事が大変だと気付く。
全ては自分が撒いた種。
ちゃんと刈り取って片付けない限り、もとの状態には戻れない。
それを自分でしないで、誰かにやらせようとすれば・・・
金で買えないモノが欲しいと思うのは、「本当の武器」が欲しいと思う事と同じだ。
その「武器」とは、勿論「信頼」というモノだ。
「信頼を得るためにはどうすればいい?」と尋ねられて私が導ける事は
「認めて、信じて、愛情を持って、必要以上を望まない事」だ。
やるべき事をやって、やらなくてもいい事も隠れてしっかりやる。
そして、変わらない「物差し」(判断基準)を持ったまま、変わらない顔で歩く事も大事だと思っている。
ところが、「肩書き」に胡座をかいた人間はよく
「やっておけ」
と言いがちだ。
任せるからやっておけ・・・なら仕事は進められようが、
結果を見て一々検証したり、そのやり方を指導したりしたらどうだろう?
やらされる方は腹が立つだけだ。
細かい事の判断を一々してもらわなければ、仕事は進んでいかない。
そして、その「やり方」が判断を仰ぐ度に変化していったら、どうだろう?
「自分で気に入るようにすれば?・・・・・」
という気持になってもおかしくない。
「任せる・・」という事は、結果の良し悪しに対する感想は述べても、
大幅な間違いを犯していない限り結果を覆してはいけない事。
結果がひっくり返されると解っていたら、
誰も結果を導こうとしなくなる。
そこまでの努力は水泡に帰し時間だけが費やされるのは、
誰だって無駄と感じるのだ。
「こんなに頑張ってんのによぉ〜・・・」と愚痴る前に、
自分の足元を見なくちゃイカンな・・・と、私自身も思う。
そんな事を、一人きりで飲みながら考えていた。
これも経験の為せる技だろう・・・か?
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