日曜に撮った桜の写真が現像から上がってきた。
毎年撮るものじゃないし、撮っても上手く撮れた事は少ない。
だから、今年も・・・と思ったが、結構気に入った画があった。
日曜の昼間だというのに桜の下ではもう酒・酒・酒・・・
まぁ、当たり前だけどねぇ。
写真を見ていて気付く事は、随分撮り方が変わった事。
煌めく春の日差しを受けながら、しっかり桜を写そうとしている。
気持が変わり、見方が変わり、そして見える物が変わってきたようだ。
そう言えば、昔より相手を認めるようになった。
自分の考えだけを頼りに持論だけで走りまくって、
相手の反応すら気にしなかった自分は、もういない。
カッとなって叫んでも、何故反論を受けるのか考えるようになった。
伝わっていない・・・・。
言葉が通じない事が、自分の気持ちが通じない事が、
その反論を生んでいるのは間違いない。
今日の会議で、シビアな数字の話をしていた時の事、
伝えたい事を伝えられず、共有できない言葉の応酬に明け暮れ、
意を決して数字の元(予算元表)を見せた。
反論に湧いていた会議はすっと静まり、何をやりとりしていたかも気にならない。
その時感じた事、それは「現実の前には、空論は空しい」って事だった。
一人で背負ってきた歴史が、気負いを生んでいた。
この不安感を、数字を見るだけで理解できない・・・と、決めつけていた。
だが、自分の伝え方に難があると解っていたので、現実を見せた。
認める・・・というとおこがましいが、
管理職として休まずに働いている諸氏を信じなくて、どうしよう。
これは私の役割で、そこに入ってくるな・・・という態度だったから、
伝わるべき言葉は刃にしかならなかった。
歳を取ると丸くなる・・・とはよく言ったもの。
それは、相手を理解する幅が広がった結果だと思う。
しかし現実は厳しい。
それが伝わっただけでも良しとしたいが、なかなか手強い不景気だ。
そんな場が、したくない決断を迫り、考えたくないオプションを選ばせる。
ただ、その意味を全員が共有できた事は嬉しかった。
トラブル、アクシデント、ピンチの類は、乗り切る事で成長できる。
もうダメだと思っても、最後の最後まで諦めない事で、
どうにか乗り切ってきた。
なんだ、バイクと一緒じゃん。
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