明日を夢見る事は、生きていく上で必要な事。
どうにかなるさ・・・と投げやりに言っても、
どうにかなるって希望を持っている事は事実だ。
今日は、新入社員の面接があった。
全員が今春卒業の学生。
職種を限定しての面接だから、偶然にも同じ学校からの応募者が揃った。
次長と現場の主任達も参加し、これから一緒に働いていける仲間を捜す。
希望者達は皆、自分の明日の一部を託す場所としてこの会社を目指したのか・・・
と思いきや、これが千差万別で面白かった。(まぁ、毎度の事なのだが)
看板に釣られた人、行き先が無くて来た人、踏み台として選んだ人、
条件に惹かれた人、新しい学校へ入るつもりのような人・・・・。
日頃現場で汗を流している主任達は、面接なんて経験は殆ど無いのだが、
外注スタッフや部下を使ってきた目で、まさに顔を見た瞬間に彼等を値踏みする。
私は彼等に5年後の自分はどうありたいか尋ねた。
勿論、彼等にそんな事が答えられるはずがない。
ただ、未来の自分を想像する時の反応が見たかっただけだ。
5年後の自分が明確に想像できたらつまらない。
そして5年間という時間の重みは、半端じゃなく重い。
自分の人生をふり返ってみれば、あまりに多くの事が有りすぎた。
これからの5年、それ以上のものがあるとしたら・・・。
でも、その予測をするとしないとでは、歩き方に大きな差がでる。
あそこまで必ず到達する・・・という計画も、準備も、
何もしないで過ごしている時間も、
同じ流れで動いていくのだ。
最近気がついた事がある。
予測と目標を持って生きる人は、いつまでも若い・・・・という事に。
20代でも、社会に背を向けて日々ただただ時間を浪費している人は、
あっという間に老け込んでしまう。
日々新しい事を取り入れ、次を探しているような人は、
不思議と歳を取らなかったりするのだ。
バイクは、ライダーを若返らせると感じる事がある。
体力を要求される事もあるが、
世間の目の冷たさに耐える気力が要求される事も、
そう感じさせる理由の一つだ。
私の場合、いつでも乗れる身体を維持する事は、
意志の鍛錬と、体力温存に役立っている。
20才の若者達は、
その若さの意味を解らず、
明日の自分を想像できず、
しかし、一人立ちする意志を持って来た。
若さを見て、今の自分を顧みる。
最近丸くなっちまってるよなぁ・・・と。
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