人と話をする事が楽しいと感じるようになって、
もう何年になるだろう。
笑う事が嫌いで、打ち解ける事が苦手で、
だからバイクで走る事が好きだったりした。
仕事で、見知らぬ人と話さなくてはいけない状況に、追い込まれる。
必要とするコメントを引き出すための呼び水として話す雑談。
その中に、第三者だからこそ吐ける生きた言葉を見つける事が、多くあった。
それは、とても面白いというだけでなく、その人の人生を垣間見れたり、
自分では気付けない視点を提供したりしてくれた。
以来、取材に行く事が大好きになったのは、言うまでもない。
人嫌いも、随分良くなった。
(でも、相変わらず「人見知り」はするけどネ)
会って話をするだけで、文章とは違う何かを得られるのは、
言葉と言葉の間に存在する時間があるからだろう。
それを表現しにくい事は、文章を書いていて痛感する事だ。
部下のグチを聞いたり、友達の悩みを聞いたり・・・と
今日は忙しい日だった。
そしてその時間が取りにくいために、見知らぬ者同士を同じ場所に集めてしまった。
(時間差をつけたつもりが、それぞれの都合で一緒になる)
自分の歩く道を探している奴に、まったく利害関係の無い人達との会話が
違う見方の方法論として役立てば・・・と思うから、
たまにこうやって、強引にパーティーにしてしまう事がある。
しかし・・・・。
話を繋ぐ事が難しい・・・と感じる。
それは、寄りつく話題が無いからだ。
そんな時それぞれは同じ土俵を探すものだが、何となく上手くいかない。
それを提案するのは、この強引なパーティーを組んだ私の仕事なのだが、
全員が寄りつく気が無いとどうしようも無い・・・・。
以前、こう言われた事を、思い出す。
「wakaoさんって、アイスブレーカーですよ」
その単語の意味を知らずに固まっていたら、
アメリカで仕事している彼女が説明してくれた。
集団で居る時に、何となく気まずい・・・とか、話が出ない状態を例えて「ICE」と言い、
そんな状態で話を切り出したり盛り上げたりする人の事を、ソウ言う・・・と。
10年も前、プロデューサーという職務をしていた時の事を差して言った事。
こっちは仕事と思ってしていた事がそう見えてるのか・・・と、ちょっと驚いた。
でも、コミュニケーションを一番大事にしそうなアメリカン達も、
気まずい沈黙状態に陥るとは・・・と、面白くも感じていた。
今日もアイスブレーカーなのかなぁ・・と思いながら、色々話す。
それでも膠着しがちな状態に、明確な打開策が打てなくて困っていた。
そんな状態なのに電話がガンガン入り、それぞれが「ちょっと聞いてヨ〜」となるから、
今日はどうあってはブリッジ役にはなれないと悟る。
ならば・・・と、潔く分離する事を考えた。
一番深刻な問題を抱えている奴を連れて、皆と別れる。
残った奴らは夜中まで飲み倒しているだろう(^_^;)
「趣味はないの?」
「これと言って・・・・」
「じゃ、楽しい事は?」
「寝る事です・・か・・ねぇ・・」
悩みを聞きつつ、さりげなく質問した答えに、ビックリする。
寝る事が楽しい・・・・・。
それは、初めての意見だ。
色々な事を知りたくて、できる事なら寝ないでいたい・・・と思う私にとって、
寝る事=何も情報収集できない時間=つまらない事なのだ。
それが、楽しい・・・・?
人に何かを伝えたい時、人が知らない情報では無いと意味が無い。
何故なら、知っている事に対しては誰も、興味が沸かないからだ。
知っているようで知らない事でも、まったく知られていない事でも、
それが会話の中に出されて初めて、聞きたいという欲求を相手の中に生む事ができる。
会話を切り出すのも、同じ事。
膠着し沈黙化した集団をブレイクするのは、皆の注意を惹きつける情報だ。
それは皆が良く知らない事で興味を啜る事が、より注意させる力になる。
だから、情報は山ほど仕入れていたかったし、硬軟取り混ぜて体験取材に明け暮れたりもした。
「何もしない贅沢」というモノを味わうのは好きだが、
それだってその空気や時間を満喫しているから楽しいのであって、
何も感じない事を楽しいとは思っていない。
人間は日々新しい発見に出会って、色々な事を感じたり学習したりして、
明日の行動の指標として記憶したりするものではないのか?
私は、生きていける時間が限られていると感じるから、
いつも新しいモノを求めている。
そしてやっぱり「寝る時間も惜しい」と思ってしまう。
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