「強さとは何か?」ときかれたら、何と答えるだろう・・・?
「自分にうち勝つ事」と答えた彼女は、極真のチャンピオンクラスだった。
自分に負けない?
という問いには、日々の鍛錬についての説明がなされたが、
なるほど・・・と思う反面、それが強さか?と感じる気持を捨てる事はできない。
「自分は絶対コレではまけない」という想いは、何のカテゴリーにおいても大切な気持だ。
しかし、ある限定されたパートにおいて他人より優れていても、
別のパートではそうでないとなれば、どこを見て優劣をつけ、何を見て強弱を判断するのだろう。
言葉には出さないものの「下道を走ったら負けないゼ」という態度を持ったライダーが、
自分より年上のオヤジと走って、言った言葉がこうだった。
「何か仕掛けました?」
オヤジは後ろのスペースを作りながら、
いやでも加速しなければ生き残れない道を作って、引っ張ったらしい。
鼻っ柱を折るのではなく、しかし求められる走りができなければ生き残れない形を求める。
これは、ひょっとしたら戦いで、ひょっとしたら愛情だ。
誰にも負けない・・・と、非常識な走りをしても生き残る手段は、
そんな走りを経験する事で、突然、自分が見えて理解できたりする。
極真の彼女には「退く強さ」を語った。
でも、今はきっと、彼女に私の本意は伝わらない。
「退く」事は負けだと感じる気持が一寸でもある限り、伝わらない。
何故なら彼女はまだ、「能力」という物差しだけで勝ち負けを判断しているからだ。
ある限られた範囲での考え方で全てを考えるのは、まだ自分ができていない証拠だ。
自分のスタイル確立して初めて、廻りに目が向くのだと思う。
職人は、自分のスタイルが出来上がるのに10年。
そして出来上がった自分を全部捨ててもう10年頑張って、
やっと自分というモノができると言う人が多い。(どのジャンルにおいても)
10年頑張ってやっと、廻りを見る目ができるという事だとすれば、
相手の気持ちを想像するにも10年かかるという事か。
だから歳をとる事は、楽しいと思う。
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