一瞬先に、まったく予想のできない事が起きるのが人生なら、
安定した生活を営む事は、当たり前のように見えて実は、とても困難な事かも知れない。
重なる時は、色々な事が重なる。
良い事も悪い事も。
ここ1ヶ月位、悪い事が重なって訪れていた。
そんな時は、ぐっと引いて客観的に見て、
トラブルに振り回される自分を見て楽しむくらいでないと、耐えられない。
で、いつもそうやって、トラブルを楽しむようにこなしてきたが、
何事にも限界、という事がある。
10リッタータンクに100リッターの燃料が入らないように・・・。
仕事上のトラブルがこれでもか・・と重なった上に、
信頼を裏切られるような事が起き、結果、自分を見直す必要があった。
何故、こうやって生きているのだろうか・・・・と。
そんな時、異動の話が持ち上がった。
理由は簡単な事。
会社の中で重要なポストに空きが出るのだ。
会社は、私の能力を評価しているのだろう。
その事自体はとても有り難い。
しかし、能力を買っても、心は理解しない。
そして、今、任されている仕事の重要さも・・・・。
それは、会社の根幹をなす仕事であり、
法律と感情と分析の中から冷静な答えを導ける人間しか、扱えないもの。
だからこそ、自分がやりたい仕事ではなくても、誇りと自負を持ちながら頑張れた。
しかし経営者は、誰でもできる仕事のように言った。
切れた。
経営者なんて、所詮はそんなモノ。
わかってはいても、どこかで信じていた自分が情けなかった。
このコースはこうやって走るのが、一番早い。
そう信じて、イメージ通りに走る事をしてみても、目標タイムを今ひとつ抜けられない。
競う相手がいたら、もっと遅くなってしまう事もある。
ではどうしたら早く走れるのだろうか?
誰かがやってきた事を超えるには、その人と違う事をしないと難しい。
レコードラインというものはあっても、それは各々の走り方によってちょっとずつ違うもの。
だから、自分に合うやり方を探さなくてはいけないのだ。
しかし、自分で勝手に正しいと思いこんでいたラインをトレースする事ばかり、気を取られている事は多々ある。
走り方は勿論だが、生き方、感じ方、などについても同じ事が言えると思う。
こうだと決めて、後は考えない、感じないで突っ走る。
それは、忙しい時には目標以外に目を向けずにすむから、効率は上がるし精神的に楽な方法となる。
しかし、応用力に乏しく、進歩もあまりできない、と言った欠点があるのも事実だ。
ヨーロッパでは、レーサーの人気が高いのは有名だが、同様にラリーストの人気も高い。
何故か?
同じ所をグルグル回る競技(レース)で早い奴は、5日間かけて国を一回りするような競技(ラリー)では勝てない。
どんな状況でも早い(応用力のある)奴も尊敬される・・・という事のようだ。
自分の生き方は、まさにラリー型を目指している。
だから、どんな仕事でも、文句は無い。
しかし、今回の異動にあたり、後任が抱えるだろう問題について考えてみれば、
対応できそうな人間はいないだろう・・・、というのが私の所見だ。
資質においても、経験においても、向き不向きにおいても・・・。
そう客観的に説明しても、まったくの素人に委ねるのが平気な経営者であったら、これはヤバい。
やっとの事で仕事を取ってきても、会社の根幹が揺らいでいたら困るって事だ。
ならば・・・と、辞める事を考えてみた。
すると、何だか心に刺さっていた太い杭が抜けたように、感じた。
「立って半畳寝て一畳」と言うのが、自分の生き方ではなかったか?
誰かのために・・と考えていた事は、実は単なる詭弁ではなかったか?
肩書きにも仕事にも魅力を感じていないけど、
責任を持っているという自負に寄りかかっていたかも知れない。
所詮は仕事、メシの種。
苦痛に感じた時点で、続ける意味はなくなっている。
信頼を裏切られたと感じるのは、単に信じ切っていないからかも知れない。
勿論、諸々の事実は既に確認しているが、それでも信じれば良いのだと、思い出した。
信頼は、壊すのは一瞬でも築くには時間がかかる。(あらゆるパートにおいて)
だが、信じ切る心があれば、その時間を短縮できる。
後日、預かっている責務についての客観的分析を説明し、
その考え方を否定するのなら「進退を考える」と伝えたら、経営者は黙った。
どうやら、最低限の信頼は残っていたらしい。
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