いつも絶対しない事なのに、その日に限って・・・という事があると、
とくに行動を注意するようにしている。
何故なら、それは何かの「兆し」だと言えるから。
私の父親は、幼い頃母と別れた。
その後、彼がどこに住んでいるかなんて知らなかった。
探そうとは考えなかったし、関係ないと思っていた。
ところが少し歳をとってくると、父親の生き方をインタビューしてみたくなった。
何故、そうやって生きていったのか・・と。
どういうつもりで別れて、どうして会いに来ようとしなかったのか・・と。
しかしそれを果たす事はできなかった。
いや、苦労して探し出して会えたとしても、冷静に話し合う勇気がなかったのかも知れない。
ある日、何の気もなく電話帳を開いた。
父親の名前を探してみた。
彼の名字は恐ろしく平凡なものであったから、膨大な量のページが占領されていた。
風の噂に、同じ市に住んでいるとは聞いていたから、後は名前で判断すればいい。
ちょっと珍しい名前(字)であったから、あっけなく見つかってしまった。
そして、無意識に受話器を取り、その番号に電話をしていた。
電話に出たのは、少し疲れた声をした女性だった。
その声を聞いて、正気に戻った。
何をしているんだ・・・俺は。
電話をして何を言おうというつもりなんだ・・・。
明らかに違う名字の人の名を呼び、間違い電話を装って切った。
受話器を置いて、電話に出た女性の声を思い出していた。
なんだか重苦しくて、寂しそうな気配がして、廻りの音も聞こえず孤独感を煽られる・・・。
声自体は思い出せないのに、その感触だけが耳にこびりついていた。
1週間後、子供の頃可愛がってくれた叔父さんから電話がきた。
彼は父の弟で、田舎から出てきた時母を頼ってきたからか、母が離婚した後もたまに遊びにきたりしていた。
だから、その声は凄く懐かしく、忘れていた子供の頃を瞬間的に思い出していた。
「実は、兄さん・・・君の父親が、死んだんだ・・・」
「えっ 」
考えてみれば、20年近く会っていない人が、理由も無く突然電話をかけてくるはずがない。
彼は、母に電話をして私の連絡先を探し、その事を伝えるために電話してくれたのだった。
「兄さんには家族がいて、君や君のお母さんの事は、兄さんの奥さんしか知らないんだ。
だけど、君にとっては実の父だから、教えないという事はできなくてねぇ。」
「何時死んだのですか? 何が原因で死んだのですか?」
数十秒声もなく立ちつくしていた私は、辛うじてその疑問を口にした。
父親は、肝臓を壊して死亡したらしい。
1週間前あたりから容態が悪くなり、死ぬのは時間の問題だったと言う。
ゾッとした。
父親が意識を失った頃、私は無意識に彼の家へ電話をしていたのだ。
もしかしたら、「死ぬ前に会いに来い・・」というメッセージだったのかも知れない。
電話に出た女性は、父親の妻であり、時間の問題と宣告されて気落ちしていた時かも知れない。
別れて以来、会おうとしないで生きてきた父親だから、
死ぬ間際にも会う気はなかったろう・・と思いたかったが、
それにしては自分の行動に納得がいかない。
叔父に葬儀のスケジュールを尋ねたら、明日の夜が通夜だと言う。
悩んだ。
会いに行くべきか、それとも会おうとしなかった父親の気持ちを汲んで、
会わずに無視するか・・・・。
会う事が怖いのは、その姿を知らないからだ。
どこかで欠けていると、いつも心の中に引っかかっていたトゲのような物、
それが父親の存在だったと、あらためて感じている。
通夜のある日、クラブハウスへ顔を出した。
父親であっても、父ではない人間であった存在に、
会うべきか否かを、大将ならどう考えるか、尋ねてみた。
大将は言う。
「会わなければ、一生後悔するかもしれない。
会うべきだ、お前の父親なのだから。」
仕事着のまま飛び出した。
会いに来いって言うなら、会いに行くよ・・・と
心の中で呟きながら・・・
葬儀場についたら、叔父がすっ飛んできた。
「ちょっと待ってくれ、まだ、うまく話ができてないんだ。」
「え?」
「悪いんだけど、後日って事にならないかなぁ」
「叔父さん、申し訳ないけど、僕は生身の父親を見た事がないんだ。
今日、彼を見なかったら、一生僕は彼の顔を見る事ができなくなってしまう。
僕も実の子なんだから、せめて顔ぐらい見させてもらってもいいでしょ?」
叔父は黙って向こうの長男の所へ行った。
彼は、このまま葬儀を終わらせては、私に申し訳ないと思ってくれたのだろう。
だから、彼らに相談する前に電話をしてくれたのだ・・・と想像できた。
話はなかなかつきそうにない。
叔父と弟はかなり長く話し込んでいる。
父親の葬式の日に、腹違いの兄がいる事を知らされる事は、なかなかヘビーなものだと想像できる。
しかし、これを逃したら、二度と父親には会えないのだから、こっちも引くわけにはいかない。
叔父が重い表情で帰ってきて言った。
「焼香はいいけど、参列者が皆帰った後で見るようにしてくれないか?」
異存は無かった。
弔う気持より、どんな奴かが知りたいのだけなのだ。
弔問客に混じって焼香した時、父方の親戚からどよめきが起きた。
彼らは、私の存在は良く知っているはずだ。
何故なら私は父の最初の子であり、皆とても可愛がってくれたのだ・・と
母から聞いていたからだ。(所謂、初孫ってヤツだろう)
ただその頃はまだ小さくて、自分の記憶の中にそのシーンは残っていない。
彼らには、大人になった私の顔が解るらしい。
口々に小声で私の名前を呼んでいた。
弔問客が帰りきるまで、斎場の一番後ろの席に座って待っていた。
私には、腹違いの兄弟が3人もいるようだ。
なるほど、頭の格好はにているなぁ・・。
顔は意外に似ていないなぁ・・・、等と下らない事を考えながら待っていた。
私は、何故か嬉しくて仕方がなかった。
半分とは言え、血の繋がった兄弟に会えた。
そしてこれから、父親という存在を見る事ができる・・・と。
彼らから見たら不謹慎だろう。 腹が立つかも知れない。
父が亡くなって悲しい時、腹違いの兄は何だかニヤニヤしているのだから。
叔父が手招きをする。
どうやらご対面タイムだ。
白木の棺の窓を開け、顔を見た。
昔、家にあった父親とその父親の写真を思い出した。
その爺さんによく似て見えたからだ。
目を瞑っているから解らないが、これが父親なんだ・・・という事はわかった。
合掌し祈る。
「あんたの事は恨んでいないよ。
あんたが居たから、僕は人間として生まれてきたよ。
そしてあんたが居なくても、ちゃんとこうやって生きてるよ。
あんたが会いに来なかったから、何でも自分一人で乗り切れるようになったよ。
ありがとね。
でもさぁ、あんたすっげぇ、ただのジジイだよ。
俺も歳喰ったら、今のあんたみたいになっちゃうのかな・・・」
葬儀から帰って、一人になった時感じた事。
それは、「とうとう、話をする事は、できなかった・・・」という事。
そして、そんな想いを持っている事すら知らなかった、という事実。
でも、だから、突然電話したくなれたのかも知れない。
会社の部下が、突然髪の毛を切った。
「何だか切りたくなったから・・・」と、
元々短い髪をもうちょっとだけ切った。
翌日、朝、彼女の父親が亡くなった。
彼女がポツリと、
「何故髪切りたくなったかわかった・・・」
と呟いた。
そんな「兆し」
それが「虫の知らせ」と言うものかも知れない。
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