枕元で携帯が鳴る。
ビクッとして目が覚め、時計を横目でみると
3:57と文字が浮かび上がってる。
こんな時間の電話は、多分トラブルだ。
事故を起こしてのSOSか、精神的にパニックを起こしてのSOSか・・・。
いずれにしろ、出たら寝不足は免れない。
「昨日寝たの2時だぜぇ・・ったく」と一人呟き携帯を持つと、
会社からのコールであることを番号通知が示している。
マズイッ・・何かトラブッた・・・。
慌てて電話に出た。
「夜分すみません。 実は今消防から電話があり、うちの社員が救急病院に運ばれて、
現在危篤状態だ・・という事です。
救急隊が到着した時点で心停止、蘇生措置をしながら搬送したと言っています。」
「わかった、君はそこに居て、まず総務担当の取締役を起こして、現在解っている状況を伝え、
彼の指示で動いてくれ。 私は、その救急病院へ行き、状況を確認して会社に電話する・・・」
まだ明るくなっていない1国を車で飛ばし、救急病院へ向かう。
明け方の救急病院は、ついさっき危篤状態の人間が搬送されたにしては人気の無い感じがした。
受付にも人は居ず、診察室へ向かう。
無人の廊下には、煌々と蛍光灯だけが点いている。
と、その時、診察室のドアが開いて看護婦が出てきた。
ドアの向こうの診察室は、明かりが落ちていた。
まるでそこでは、何も診察などされていないように見える。
しかし、看護婦の後に、制服を着た警官が続いた時、
とても不安な気持ちをかき立てられた。
意を決して尋ねる。
我が社の社員が担ぎ込まれたのか・・と。
答えはYES。
少なくとも、我が社の社員の名前を名乗る人間が、救急隊によって搬送された事は確かなようだ。
では何故、警察官がいるのだ?・・と素朴に疑問をぶつけてみた。
警察官は、自宅で心停止した人間を蘇生できなかった場合、病死ではなく変死として扱われる・・・と言った。
つまり事件では無いと証明できない限り、捜査はしなくてはならないのだ・・・と。
彼は、誰にでも好かれる純朴な性格と、粘り強い取材で仕事をこなす能力を持ち、
将来を有望視されていた男だった。
その日彼は、同僚と3時位まで酒を飲み、自宅に帰ったのだが、
シャワーを浴びているうちに気分が悪くなり、自分で救急に電話をしたらしい。
明らかに命に関わると判断した彼は、玄関の鍵を開け健康保険証を持ち、ドアを叩いても反応が無かったら
そのまま入って欲しいと、救急に伝えている。
果たして、到着した救急隊は、玄関に昏倒している彼を見つけ、すぐさま救急病院に搬送した。
そして彼が用意しておいた健康保険証があったおかげで、間髪入れずに会社に緊急連絡があったわけだ。
(明け方のその時間に会社で仕事をしていた人間がいたのだから呆れるが)
もしかして、彼の保険証を拾った男が、救急隊を呼んだのかもしれない・・と、
僅かな希望にすがりながら警察官に状況を尋ねていた。
しかし、身元の確認はしなくてはいけない。
暗くなっていた診察室には、白い布をかぶせられた遺体が安置されている。
(だから、電気が落としてあったようだ)
彼でないように・・・と祈りながら白い布を外してみると、
そこには見慣れた彼の顔が、寝ているように穏やかな表情でそこにあった。
変死という扱いになった彼に対して所轄の警察署が行った事は、
その捜査の必要性は理解できるとしても、かなり気分が悪くなるものだった。
遺体は警察署の霊安室(とい名前の倉庫)に安置され、
私は捜査の立ち会いという形で彼の自宅のガサ入れに付き合わされる。
勿論、状況から見ても、急性心不全であることは明白なので、こちらは捜査官の許可を得た上で、
彼の実家の住所・電話等の確認(調査)していた。
彼の実家はたまたま、会社に届けていた住所とは違う所に引っ越しをした・・という話が聞こえていたから、
一刻も早く連絡を取るためにもその調査が必要不可欠だった。
一方会社にたどり着いた取締役は、社員への電話攻勢で裏を取った電話番号にあたりをつけたのだが、
何分にも明け方であり電話する事自体をためらっていたようだ。
しかし、そうも言っていられない状況である事が解り、電話をする。
ところが、電話に出た女性はご両親の名字を言っても、違う家だと言い張った。
こちらが調べた電話番号は、取締役が探り当てた電話番号と同一の物であった。
しかし、電話に出た人は、違うと言っている。
彼の親族への連絡ルートはその時点では調べようが無くなってしまった。
その頃になって、訃報を聞いた同僚達が警察署へ集まってくる。
誰しもが、「信じられない・・・」と呟きながら。
しかし、その集合した人数が膨れあがるにつれ、話題はどうなった?・・から何故?・・・に変わっていく。
少なくとも彼が死亡した事だけは、皆認めざるを得なくなったようだ。
違う所から出てきた、彼の実家の電話番号が一致しているのだから、番号の写し間違いである訳がない。
ならば、親戚筋の家かも知れないと判断した取締役は、もう一度その電話番号をコールした。
結果、間違いなくその電話番号は、彼の実家のそれであった。
ただ、朝早くにかかった電話にでた人は、どうやら寝ぼけて応対したらしい。
こんな時、それを伝える言葉は難しい。
丁寧に喋った事が、事実の重さと緊急性を伝え難かったのだろう。
何にしても親族と連絡が取れ横浜に向かってくれる事になったが、これがまた警察署で別の問題を引き起こした。
私は、一通りの捜査を追えた捜査官から、彼の遺体が検死に回された事を知らされる。
その死因を解剖によって確認したいのだ・・・と。
しかも、その解剖許可を親族から取りたいと言う。
しかし、ご両親はすでに自宅を出発し、新幹線に飛び乗ってしまったらしい。
再度電話をした時にはもう、実家の電話に出てくれる人は居なかった。
死亡する2時間前まで一緒に飲んでいた同僚達は、警察署のベンチで止まらない涙をすすり上げている。
直接の上司は、過労死させてしまったのでは・・・と青くなっている。
こちらは、捜査一課のデスクで事情聴取を受けていた。
検死から遺体が署に戻り、ご両親も到着し、まさに倉庫のような所で遺体に再会した。
こんな場所に安置しなくても・・と怒りがこみ上げてくる。
その月、彼は世間並みの忙しさであった。
私達の業界としては非常に珍しい。
ただ、彼の担当していた部門は波があったから不思議では無い。
だから、過労死だとは考えにくかった。
後に、生命保険会社の調査員が来て、彼の出勤表を確認してそう判断した。
これは、1998年3月に起きた事である。
年度末の忙しさが始まると、いつも彼との別れを思い出す。
人の命は儚い。
どういう生き方をしようとも、一瞬先の事はわからない。
さっきまで一緒にいた友が、数時間後に帰らぬ人となる事は、バイク乗りには理解しやすい事だろう。
それでもどこかで、そんな事はあってはならないと考えるし、そんな事は起きないと信じていたりする。
だが、自分だけは特別だと考えるその傲慢さは、経験が増えるとともに減っていくものらしい。
長期間乗り続けていられる人間は、死なない方法を身についているのだろう。
いつ死んでも当たり前と考える事は、武士道と似ている。
長くバイクと付き合っている人達の重さは、無意識に培った死生観が与えてくれるものかも知れない。
しかし今年に入ってから、実に葬式が多い。(一時期、毎週だった)
つい先日も、親代わりに可愛がってくれた恩師が亡くなった。
マイペースで生きる事を貫いた人で、会社の副社長まで務めながら、
絵を描いたり写真を撮ったり、障害者施設の園長をやったり、
子供達を引き連れて山に登ったりと、色々な顔・名前を持つ人だった。
そんな彼が最後にした事、それは献体だった。
自分の部下の身体を、変死という事で解剖される事さえ、とても苦痛に感じた私にとって、
その行為は残された人々の事を考えると理解しにくい。
実際献体はとても少なく、教育現場としては困窮するところだろう。
自分が死んだ時、身体の一部を移植するという事はまだ理解できる。
たとえ一部でも、だれかの身体の中でも、生き続けていくのだからかも知れないが。
恩師の身体は、今年の9月の実習に使われる予定と聞かされた。
その遺体が帰ってくるのは1年後だ、とも。
死して尚、他人の役に立ちたいと考え実践できるのは、
本人の強い意志と同時に遺族の深い理解無しではあり得ない。
何故なら、故人を偲ぶ人達の想いを受け止めるのは、
いつも遺族側になるのだから。
彼の遺志を理解して、それを実践したご家族に敬意を表するとともに、
深く哀悼の意を表します。
安らかに眠ってください、
丹沢五郎 様
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