ルート16と聞くと、どこに通っている道を想像するか・・・。
その答えで、何処に住んでいるかが容易にわかる。
国道16号線は、関東一円を繋ぐ巨大な環状国道であり、交通動脈とも言える主要産業道路。
関東に住んでいる人間にとっては、16号という名前には馴染みが深くて当たり前で、
その長さゆえ、それぞれの町でそれぞれのシーンとして生きていると思う。
私にとってR16は、相鉄沿線あたりから横須賀方向に抜ける道というイメージがある。
チューニングした車で、横須賀ベースの前から磯子警察署前までの区間をレースしたり、
山下町から「コーヒーを飲みに行こう・・」と、小田急相模原まで16号を経由しながら
バイクによるタイムトライアルをやったりもした。
そんな16号をこの前、久々に北上する事があった。
窓の外には、想像以上に廃れた相模原の街並みが流れていく。
企画もののアミューズメント施設や、これでもかと言うほど連なるファミレスも、
今はまばらで生彩を欠いている。
店舗自体が無くなり原っぱになっているところもあれば、誰も使わなくなって廃墟と化した建物も多くある。
簡易フェンスでバリケードされたり、荒れ放題になっている店舗には、必ずと言っていいほど
アメリカンストリートギャングが書き記す変なサインに似た落書きが、芸術的センスのかけらもなく書き込まれていた。
この町はどこの国の町なんだ?と思う位、廃墟の廃れ方がアメリカナイズされていて、
さすがは基地の町と呆れてもしまったが・・・。
落書きと言えば一昔前は、暴走族が変な当て字のチーム名を書き記すのが、通り相場だったはず。
笑っちゃうような当て字も、日本語で書かれているからこそ、まだ、らしいものだと言えたのだ。
しかし、ここの落書きは、何と書かれているか解らない文字だから、それだけでも寂しく感じてしまう。
(決して、落書きを良し、と言っているのではない)
その昔、バイトして稼いだお金でガソリンを入れ、どこでもドアのようなオンボロマシンを駆って走り抜けた街は、
今は不景気という現実に打ちのめされて、思い出すらかき消そうと姿を変えていく。
若き日に彼女と入ったハンバーガー屋は、ウィークデイ半額セールで辛うじて生き残っていたが、
渋滞づくりの橋本五叉路は、景気テコ入れの為の公共事業により立体交差化して、まったく違う風景と化していた。
(景気復興計画は、所詮土建屋向けのものでしかないらしい)
16号を外れて中央高速を目指すと、そこはまだ昔の風景が残っている。
しかし、そこここにファーストフードとコンビニが存在し、ピッチの電波も途切れない。
便利って何だろう。
豊かな生活って何だろう。
20数年前、90ccのハスラーで走り回った時感じた幸福感は、
その時の不便で貧乏な生活からの脱出行為として得られたのだろうか?
コーナーを曲がれば鹿と出くわすような自然は、
人間の消費という経済活動の中に葬り去られる運命なのか?
最近、森の香りを嗅ぎながらトコトコと走るようなツーリングを、ちっともしていないなぁと気がついた。
舗装道路を楽に快適に早く移動できる道具として、車やバイクを選んでいる現実は、
物と便利さに溢れた現代社会の象徴的行為なのかも知れない。
なんだか、無性にオフロードバイクに乗りたくなった。
|