台風の影響で、暑く湿った空気が流れ込み、少し蒸し暑い感があった夕方6時半、
「山下町公園」にコールマンの大きなクーラーボックスを置いて、
エビスビールの500cc缶を飲んでいた。
東屋にはアフロアメリカンとジャパニーズのカップル、広東語で語る若者3名、
観光客であろう若い女性が二人座っている。
蓬莱閣に作ってもらった焼売を食べながら、参加者の到着を待つ。
昼間の熱気が残っているのか、とっくに空いてしまったビール缶が二つも並んでいるせいか、
かなり汗も噴き出してきた。
気になっているのはオリンピックのサッカー予選。
でも、ここにはテレビもラジオも無い。
突然大将がやってきて、ひとしきり話が盛り上がる。
ただ、客人がいたので、彼らはそのまま食事にでかけた。
クーラーボックスには一人では飲みきれない量のビールと氷、そして水が4L。
湯気の立つ焼売をつまみに猫がご相伴。
なんだかそれだけでも、幸せな一時だなぁ・・・・と、その空間を味わっているころ
参加者が集まりだした。
シゲ+1、霧虎、ドカモンスター+1、のしん、名も知らぬ御年69才のオジサン、
KK君、MSさん、HK君、YMさん、大将、他 色々な方々が参加。
ケンタウロスの看板持ちもいれば、ランバンのスーツを着た奴もいる。
子連れの夫婦も居れば、いかにもサラリーマンって奴もいる不思議な集団になった。
東屋のイスには、ウィスキーのボトルが4本に紹興酒が揃って並べられ、
白熱灯の明かりをうけてキラキラ輝くとそこは、オープンスペースのバーになってしまった。
夜も更けるにつれ東屋は独特な世界を形成し、参加者が持ち込むつまみや飲み物が増えていく。
中華街で30年以上も働いてたという先達は、
朝鮮戦争の時、日本人が物資輸送船団に乗組員として多数参加していた事を、
ちょっと昔の事のように話してくれた。
噂では聞いた事のある話でも、実際にセンターピアから出た事実を知る人から、
肉声で語られると伝わる事はあまりに違う。
「運悪く戦死すると、慰霊金がワンボディで150ダラーだったよ」
という彼は、海で働いていた事もあってか英語が会話にかなり混じるのだが、
余計にそれはリアリティを添える効果を持っていた。
歩くと蒸し暑い気候も、座って飲んでいるのには「良い感じ(語尾あげ)」で、
テンションはどんどん上がっていく。
そして
22時を回った時、東屋の照明は自動的に消える。
煌々と点いていた明かりが消えると、苦情が出かねないテンションは落ち着きを見せる。
中華料理店の明かりも消え、適度な闇が訪れた。
雲に覆われていた空には、やっと見える高さに月が昇ってきた。
そう、今日は月見だったはずだ。
即席バーは月見会場に変化し、参加者は相変わらず飲んだくれている。
空気も光も、自然まかせ。
そして言葉や時間を共有する。
生きている事を感じるのは、
とんでもない速度で走っている時以外にもあるんだな・・と、
この空気に浸りながら感じていた。
楽しさと、共に。
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