ここのところ、少年絡みの事件が続く。
残虐で極端、そして計算高い。
少年なら極刑にならない事を、承知で行う殺人。
何故そこまでするかというどうでもいい分析なぞ、
どんなに重ねても意味が無い。
「人を殺す経験がしてみたかった」
この発言は、正直で当たり前の答え。
それに裏などない。
ただ、人を殺せば罪になり、殺される人の人生を奪う事になり、
それは例え死んでも詫びても償えるものではないとは、理解できていないだけ。
だから、最低限のルールとして法があり、刑罰をもってその抑止力としていも、
犯罪そのものはどんどん増える一方だ。
理解させれば、無罪放免としていいのだろうか?
殺された人は帰ってこない。
だから、自分の命をもって償う(無理矢理償わせるのだが)刑もあり、
社会人としての自由を長きに渡って奪う刑もあるのだ。
大人だろうが子供だろうが、関係ない。
罪は罪だ。
今や、15才にもなれば身体は立派な大人。
でも精神は例え30才になっても子供だったりする。
(精神年齢=実年齢×0.7 という説もある)
だから、20才という年齢で成人と未成年を区別する事自体が、現実的ではない。
殺人を犯した少年に、異例の無期懲役の求刑がなされたが、
そこら辺が現在の限界なのだろう。
問答無用で殴りかかる小僧、
無造作にポケットから出したナイフで躊躇無く斬りつけるバカ。
巷には危険が増えすぎた。
対応するためには自衛のみ。
管理する側の腐敗(警察機構)が安全な社会をさらに脅かし、
自己防衛するしかない状況に追い込んでいく。
昔から銃を持つ社会であるアメリカでは、銃は確かに抑止力として作用している。
「銃が人を殺すのではなく、人が銃を使って殺すのだ」という論理も、
的を得て聞こえてしまう。
それは、誰も自分を助けない、と考える社会では通用するのだろう。
日本では当てはまらない考えだと思っていたが、
最近、違うのかもしれないと思うようになった。
自衛とは、正当防衛の範囲内での暴力でもある。
暴力は、振るわずにすむなら、その方がいい。
先日、上司からスタンガンの調達を頼まれた。
奥様に持たす・・・とか。
持たないよりはいいけど・・ねぇ。
55にもなろうとする彼でさえ、町の危険を感じている。
個人的には、スタングレネードが欲しい。(音と光で脅かすヤツ)
軍用の大げさなやつでなく、爆竹の親分くらいの物、売ってくれないかな・・。
ビックリさせて、スタコラ逃げたいだけなのだから。
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