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Malt Crazy
道楽もほどほどに
日記的雑感
 
 

タイプ

「どうして男は浮気するの?」
と、真顔できかれて困った事があります。
どうして?って言われても・・・ねぇ。

男は、自分の遺伝子を広くばらまきたい生理的欲求があるから・・・なんて言っても、
どうも女性達には理解ができないようです。
逆に、「どうして女は一人の男だけで満足できるの?」と尋ねてみれば、
「あったりまえでしょ。 バッカじゃない〜」と返されてチョン。
この話題は、結局歩みよれない事のようです。

もっとも、ザッピングラブと言われるようなつきあい方をする女性もいれば、
「一穴主義」(ふっる〜)の男性もいたりして、要はそれぞれのタイプの問題。
男だからとか女だからとかではなく、
頭より先に身体が反応する本能剥き出しの全開で、
遊びまくりの「乗り換えおっけー」ってヤツ(男も女も)だって、
たくさん知り合いの中にいるのです。

ONLY ONEが好きなタイプは、量より質。
たくさん欲しいタイプは、質より量。
そんな感じがしているのは、私だけでしょうか。


例えば、この異性問題をバイクに置き換えて考えてみると、
本人のタイプが反映されて結構面白いのでは・・・と、思いました。

自分の命を託す物。
一対一で対話するもの。
自分の要求に応え、相手の要求を理解し、
一緒になって進んでいくもの。
そんなパートナーであるのは事実ですから、
バイクは趣味の道具を越えるところにあるように、思います。

日々の足としてだけでなく、旅行にも使い、スポーツ走行もこなそうとすれば、
かなりオールマイティな性能が要求されます。
そして、そんなニーズに合った一台を見つければ、それだけで充分なはず。

しかし、ある時はアメリカンでダラダラと走り、ある時はオフローダーで
グラベルロードをやっつけ、ある時はレーサーレプリカで膝を擦り・・・と、
たくさんのバイクを所有し楽しむ人だっていますよね。

お金が無いから、たくさんのバイクを所有しないのではなくて、
必要無いから持たない・・・というのが、一台で満足している人の意見。
私も同感です。

しかし、色々な素敵なバイクに出会う時、
ちょっと乗ってみたい・・という気持ちは、少なからず起きてしまいます。

ただ、それがだれかの所有物である場合は、
余程オーナーが乗ってくれと勧めない限り、自分から乗る事はありません。

何故なら、バイクには必ずオーナーのクセがついているもの。
そしてそのクセは、オーナーにとっては心地よいものでも、
他人にとっては厄介なものでしかないのです。


クセがつくから、自分のバイクが可愛くなり、
自分の手足のように動くようにもなるのです。
それは、長年連れ添った異性との「言葉のいらない会話」のように、
自分達だけにしかわからない「繋がり」を生むもの。

だから、道具というよりもパートナーという感覚に近い物としてバイクを見たり、
擬人化したものとして捉えたくなるのは、自然の成り行きでなのでしょうね。
しかも、身体と密着して行動するものですから、
異性に例えるようになってしまう・・・と(笑)
(バイクに異性的なものを感じるのは、私だけの事ではないようで、
 いっちゃっている人は女性名詞をつけて呼ぶなんて事も・・・。)


だから、そんな会話のためのクセを、自分という他人が乗る事で
壊してしまったりしないかと思うのです。


ステディな彼女がいるのに、他の女性と浮気をする・・・というのは、
私の感覚からは理解ができません。
ちょっと乗ってみたい・・という気持ちで摘み食いをしても、
愛すべき対象を使い捨てのようには扱えません。

また逆に、摘み食いで自分に違うクセがついたりすると
本妻とのコミュニケーションがおかしくなりそうです。

そのズレが楽しいという人なら、勝手にすればよいでしょうが、
長くつきあおうと選んだパートナーと、
意志疎通ができなくなる事はとてもバカらしい事。
瞬間的な気分転換に対する代償は、バイクの場合は命に関わります。


以前私は、アメリカンとロードスポーツとフルチューンダックスを
同時に所有した事がありました。
しかし気がつけば、ロードスポーツばかりに乗り、
他の二台を走らせる事は殆どありませんでした。

そう、私は同時にたくさんのバイクを、愛する事はできないのです。
(女性に対しても(爆))


女性ライダーの方は、同じバイクに乗り続ける人が多いように感じますが、
前述のような感情的特性があって、浮気心が起きないのかもしれません。


大将に止められていたバイクライフは、大将の命令で所有したバイクによって復活し、
忘れてしまっていた感覚が蘇ってまた、新たな発見に出会います。
与えられた(買わされた?)バイクは誰かが所有していたバイクでしたから、
以前の感覚には合いませんでした。

1年以上乗っていると、エンジンの反応も、タイヤの反応も、
いつの間にか昔の感覚に近づいてきます。(こっちも近づいているのでしょうが)
元チャリのようなバイクなのに、充分と思わせてくれるのは、
走る事そのものの意味が、私の生き方の中で育ったからなのでしょう。


バイクで走る時、身体中の感覚が起きてくるような快感があり、
走り終えて降りた後、身体中が笑っているような幸福感を感じられる事。
それが、私がバイクから受け取る魅力です。
(それだけ好きなら、もう少しバイク磨けよ!って声が聞こえてきそうですが(笑))


ずうっと同じバイクでいる事。
それは私にとっては当たり前で、幸せな事。
人間関係では、何故かそれが難しい。

                                H

 
 
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