人の感情は、何を見て推し測るのだろう。
表情?
という答えはあまりに当たり前過ぎる。
確かに表情なんだろうが、無表情な顔からも
感情を読みとれる事だってある。
言葉?
という答えも単純過ぎる。
声だけでコミュニケートすると、思わぬ誤解を生む事があるから、
必ずしも正確な判断には役立たない。
私は、例えば優しさと粗暴さ、卑屈さと楽天的といったような
相反する性格を共有している人の事を、「多重人格的な人」と称している。
気分の変わりやすい人の中には、そういう傾向を持つ人が多いように思う。
そんな人と話をするときは、注意が必要だ。
今、どんなタイプが表に出ているかを判断しないと、
いらぬケンカをしたり、変な誤解を受けたりする事になりやすいからだ。
で、この前そんな人と会って色々話をする事があったが、
その人の感情を探っているうちに、こんな事に気がついた。
目と眉の間に浮かぶ色で、
人の感情の変化に気がつく・・・
という事に。
実に淡く、しかし明らかに色をまとって、そのあたりに変化が現れる。
快い時は明るく、不快な時は暗く、怒る時は赤っぽく、
落ち着いている時は青っぽく・・・、色づいて見えるのだと。
誰の顔をみても、そう見えるわけではない。
ただ、見つめる事に抵抗のない相手には、度合いはともかくそう見える。
変な勘違いだとも思う、が、
そう見えている時、その人の感情を読んでいるのだから、
表情の区別を色に置き換えて見ているのかも知れない。
そう考えた時、意志の疎通は顔を見て・・・・というのは、
必然なのだろうと思った。
バイクに乗っていて感が冴えている時は、
コーナーの先が見えたりする事がある。
なんだかヤバイと感じてスピードを落とすと、
見えないコーナーの先で車が道を塞いでいた。
そんな、常識では説明のつかない事を経験するライダーは、
決して少なくない。
それは、第六感というものなのだろうか。
「五感を育てると六感が生えてくる」
と桃井かおり(役者)が、テレビの番組で言っていたが、
なんとなく納得させられた。
バイクに乗る事は、まさに五感をフルに使う事だから、
ライダーにはそういう感覚が芽生えても、おかしくないと思うからだ。
ただの風景を、まったく別の物として見る(感じる)事を、
実は誰しもが無意識に行っているのだと思う。
ただそれを、その別の物に置き換える事に気がつかず、
ただ何となく雰囲気を感じているのが、普通の人。
その違いを自分なりの変換ができて、見る(感じる)人が、
カメラマンで言うところの「空気を撮る事ができる人」なのだろう。
酒を飲みながら、相手の目のあたり(の色の変化)を見ていて、
カメラマン時代から持っていた、目で感じる感触についての疑問に、
当たり前のような答えを得てしまったのだ。
日本人は、風に色を見たり、表現したりする文化を持っている。
しかしその文化は、上手く継承されているとは言い難い。
先人達は、私のように感じる事を、当然だと思っていたのかもしれない。
無表情の中の相手の心を察するような、
独特のコミュニケーションがあったのだから。
はっきり物を言っても伝わらず、その心を解りやすく説明しても含みまでは理解せず、
こう言う事で相手はこう思うから・・と具体例まで必要とされる現代。
全てに対してストレートに言う事を要求される。
それは、シンプルな表現しか持たない言語で築かれた文化を押しつけられた、
戦後の日本の宿命なのかもしれないが。
道ですれ違う時、目が合って軽く挨拶をする。
その時流れるライダー同士の感覚は、
昔ながらの空気を読む文化に、繋がるようにも考えられる。
空気を楽しむ文化、
私は大切にしたいと思っている。
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