| 横浜らしさは? って聞かれると、新しい物と古い物が同時に存在している・・・と答える事が多い。
 横浜は、古くからある建築物を大事に使っていたりするから、歴史を肌で感じられる。
 そして、そんな雰囲気が好きな部分でもある。
 以前ロンドンに行った時、どこか懐かしい感じがして、
 滞在中ずうっと、何故かを考えていた。
 イギリスでは答えが出ず、帰国して横浜に帰ってきた時、街の風景が似ている事に気がついた。
 なんてことはなかった。新しい建物と古い建物が同居している事と、
 その古い建物が明治時代に作られているからか、
 イギリス的なテイストを持っている事が、
 その理由だったのだ。
 でもこれは、今からもう15年も前の事。今は横浜も変わった。
 昨日、10年ぶりくらいで、
 ホテル・ニューグランドのバー「シーガーディアン・」へ行った。
 最後に行ったのは、まだ新館ができる前の「シーガーディアン」だったから、初めての店に行くのと同じになる。
 初代「シーガーディアン」は、戦後のどさくさの中、数々のエピソードを残しながら、もっとも横浜らしいホテルバーとして営業してきた。
 横浜のちょっと危い雰囲気を売りにする役者達が、それぞれのマイシートを持っていた
 が(大船や蒲田に撮影所があったから、仕事帰りに横浜で飲むならここになる)、
 そんな連中とは別格の石原裕次郎が懇意にしていたのも有名な話だ。
 私は、会社の副社長に連れてこられたのが最初だったが、横浜のある意味トップの店で、顔を見るだけでボトルを出されるサービスと、
 それだけ通ったであろう上司の歴史の両方に、KOを喰らった事を覚えている。
 客層は良く、大人の世界が満ちあふれ、暗黙のマナーが浸透していた。誰もが穏やかに密やかに呑んでいる。
 そして決して緊張していない、楽な空気が流れていた。
 私が、いつかはボトルを入れる事を夢みながら、カウンターの端で2・3杯カクテルをいただくようになるのは、時間の問題だった。
 しばらくして、自分がいつも座るカウンター席が、あの裕次郎シートだと気がついた。何故かそこは空いている事が多かったし、若輩者は片隅で謹んで呑む方が良いと
 思っていたから、無意識にそこに座るクセがついたのだが。
 (カウンターの端が常連席だという事も知らないほどの駆け出しだった)
 暗黙の了解を知らず若造が特別席に座っても、店は態度も変えずまた席を変えさせるわけでもなく、変わらぬサービスを提供してくれた。
 仕事で取材した時に解った事なのだが(自分の席が裕次郎シートだという事も)
 石原裕次郎は、バーテンダーを独占しないようにカウンターの端を選び、
 そこに置いてあった13インチのテレビを横目で見ながら、
 一人で静かに飲むのが常だったとか。
 そしていつもそこで飲む姿は、常連達には周知の事実となり、誰も裕次郎が来そうな時間帯にはそこに座らなかったのだ。
 誰かがそこに座っていたとしても、裕次郎はその人をどかすような事はしない。それを常連達はしっていたから、酒を一人で飲む時の場所を
 彼のために空けておきたかったのだろう。
 横浜は芸能人や有名人が当たり前にいる街だから、例え誰が歩いていても、
 基本的に一般人と変わらない扱いをする。
 住民達は素顔の有名人を知っているから、一切干渉しないのが当たり前と思っている。
 そんな街の名士が集うホテルバーは、例え裕次郎でも無視しておくのが常連達の常識なんだろうし、それが横浜流の付き合い方なんだろう。
 そして、見てくれや持ち物でその人間を計らないのも、横浜流。どんなにみすぼらしい格好をしていても、山の上の大金持ちだって事はあるし、
 どんなに派手な格好をしていても、下町のオッチャンだったりする事も、
 横浜ではあり得る事なのだ。
 まして、色々な国の人が昔から住んでいる所、見てくれだけで判断したら
 後のしっぺ返しが、違う国の常識で返ってくる事だってある。
 だからニューグランドだって、ジーンズ姿の客を断ったりしない。駆け出しの若造が、よれよれの仕事着でバーに入っても、絶対に差別しないのだ。
 そう言えば、一時期(バブルの頃)東京の感覚で店舗展開した飲み屋や、
 一部の新規参入ホテルでは、「ジーンズお断り」とほざいた事があった。
 「ニューグランドでも断れた事はないよ」と言っても入れてくれなかったから、
 「横浜で、それは通用しないよ」とだけ言っておいた。
 現在、店舗展開した所は店をたたみ、ホテルは2000円の食い放題ランチで
 どうにか食いつないでいる。
 「シーガーディアン」では、「マンハッタン」「ロブロイ」「オールドファッション」
 の順で3杯飲む事を決めていた。
 連れがいる時もいない時も、女が変わっても、飲むものは変えなかった。
 どれもウィスキーベースのカクテルだが、ショート2杯をたてつづけに飲み、ロングを味わいながら、その場の空気や時間を楽しむ。
 次の店に繋がるスターターとしては、なかなか気に入っていた。
 「マンハッタン」はチェリーをかじって、その甘さが口に残っている内に、一気に飲み干すのが良い。
 その場合、ベースとベルモットとチェリーとの相性が、味の決め手になる。
 シーガーディアンで使っていたチェリーは、
 当時どこにでも使っていた明治屋の物ではなく、独特の香りがあった。
 だからこそ、シーガーディアンで飲む「マンハッタン」は、そこでしか味わえない
 美味しさを持っていたし、特別扱いすべき物だった。
 「ロブロイ」は「マンハッタン」のベースをスコッチにした物だから、ベース違いの「マンハッタン」を楽しむような物。
 2杯目にはピッタリと思っていた。
 「オールドファッション」は、グラスの底の角砂糖とフルーツを潰しながら、ちょっとずつ変わる味を楽しむもの。
 ゆっくりと氷を溶かしながら、廻りの酒飲み達を肴に飲むと、
 今日一日の反芻を促してくれる効果が期待できた。
 甘さは底の砂糖の溶かし方で調整できるから、女性にも飲みやすくて人気があり、
 連れていった女性には良く勧めていた。
 たくさんの思い出を作り、深い思い入れにもなったカクテルだから、
 「シーガーディアン」以外の店で頼んだ事は、記憶に無い。
 しかし、「オールドファッション」は甘い。
 最後は、フルーツジュースに砂糖を溶かしたようになりかけるから、大変だ。
 口が甘くなりすぎたら、店を飛び出して行きつけのバーに飛び込み、
 16対1の「マティーニ」でもやっつけるという事になる。
 ドライになりすぎればまた飛び出して、次はイングリッシュパブへ行って「ギネスの生」か「ビター」を「キドニーパイ」や「フィッシュアンドチップス」と
 ともにいただく。
 こうしていつの間にか、気持ちは天国・家計は地獄、という事になっていく(笑) 昨晩、「シーガーディアン・」では
 「マンハッタン」と「オールドファッション」をオーダーした。
 店は、カウンターがしょぼくて、テーブル席が充実していた。全体的に重厚な造りではあるが、客層はすっかり変わっている。
 生憎カウンターはいっぱいで、仕方なくテーブル席についたが、
 その時点で嫌な予感がした。
 イングランド調の調度には、うっすらと埃が乗っているではないか。(バーは、バーテンの動きさえ芸術的に演出する所だが、
 彼らのもっとも気にする所は店内の清掃と決まっている。
 真鍮のバーがカウンターにしつらえてあって、それがいつも金色に光っている店
 なら、毎日欠かさず金属磨きで磨いているような、清掃が行き届いた店の証拠。
 バーテンが、髪を絶対落ちないように油でかちっと固めているのも
 ヒマさえあればグラスを磨いているのも、同じ理由からである。)
 そして、店の構造の問題なのだが、ウェイターがいつも客席を見られないテーブルセッティングがされている。
 「マンハッタン」は、どこにでもあるチェリーと腰抜けのレシピで、がっかりした。「オールドファッション」はグラスの底に無造作グラニュー糖を投げ入れてあり、
 普通のストローを入れ、フルーツを潰すためのしっかりしたマドラーは無い。
 これじゃあ、オールドファッションを楽しめない・・・と思いながら
 ストローで飲んだら、口の中にグラニュー糖が飛び込んできた。
 (それまで、グラニュー糖には気がつかなかった。)
 厄年が明けたら、ニューグランドにボトルを入れようと思っていた。そろそろ、そんな年になったろうと思えるから・・・。
 しかし、昨晩の2杯でその気持ちは無くなった。
 思い出は、美化される物。
 思い入れは、個人的でわがままな物。
 だから、それを店に押しつけるのは、間違いかも知れない。
 だけど、横浜のどのホテルよりも長い歴史を持つホテルバーにとっては、古き良き伝統を守る義務がある。
 長い歴史は、訪れた人々の思い出を重ね、
 そのスタイル(伝統)は歴史によって重さを得る。
 だから別格視され、お手本とされ、代表としての扱いを受けるのだ。
 その伝統を捨てるのなら、前の名前を語る必要はない。 久々に、二度と行かない店リストが更新された。
 その名は「シーガーディアン・」(ホテルニューグランド)
 思い出も思い入れも壊され、サービスも行き届かない、埃くさい店。あんなホテルバーにボトルを持っていたら、
 こっちのセンスを疑われる。
                              H |