| 私の周りでは、離職する人が増えています。 彼らは異口同音に、「まず休んで、それから遊んで、そしてその後何をするか考える」
 と言います。
 次にこれがしたい、という明確な物があって辞めるならともかく、まず辞める事が大切なのだと、言うのです。
 この不景気・就職難にあって、充分な給料をもらっていても辞めたいほどの理由があるならともかく、彼らの感覚は理解できません。
 
 確かに私も、何度も会社を辞めたいと思う事はありましたし、
 これからもたくさんあるでしょう。
 でも、糧を得るために働いているのですから、それは仕方の無い事。
 安定収入を捨ててまで、嫌がる意味は無いとも思っているのです。
 
 一人暮らし故の心配性なのかも知れませんが、
 蓄えは老後のためにとっておく必要があり、
 働ける時に浪費するわけにはいきません。
 (生きていくために必要な物は、幾らでも買いますが)
 歳をくって身体が思うように動かなくなった時、仕事が無くなるのは当然の事。公的年金制度があてにならないから、個人で貯めておくしかない・・・。
 そうしておかなくちゃ、リタイア後に乗るバイクも買えなくなってしまいます。
 ここ数日、心身ともに疲れ切って、ひたすら寝ていた時に感じたのは、
 「何もしないで家にいても、時間だけは流れていくのだなあ・・」という事でした。
 「何もしない贅沢」というのは、確かにあると思います。でもそれは、何もしなくても生活が脅かされる事がない、という保障があっての事。
 何もしないと飯も食えない状況で、「何もしない贅沢」なんて考えられないハズ。
 忙しく仕事をしていても、楽しくバイクに乗っていても、何もしなくても、時間は同じように流れてしまい、確実に自分の寿命を削っているのです。
 だから、何もしない事を贅沢だと思うのは、忙しすぎる毎日の反動があっての事で、実際何もしないでも食べていける人は、決してそれを贅沢だとは思わないでしょう。
 効率が悪いから、手順を飛ばして仕事をする事は、無駄な時間を費やしたくない、という欲求から生まれる感情。
 それが、色々な機構改革や技術を発展させてきたのが、今までの人間の歴史でしょう。
 職人の巧は、簡潔で無駄の無い動きの中に、精錬された技術の裏付けがあります。技術を磨くには、長い年月をかけて行った試行錯誤が必要で、
 ひたすら心身の鍛錬が求められます。
 漆職人は、かぶれる生漆を扱っても、あまりかぶれる事はありません。それはかぶれない秘訣を無意識に学ぶ事と、身体が慣れるという二つの要素があって
 成り立つ事なのです。
 ただ、扱う物の危うさが違うと、こうも言ってられなくなりますね。花火職人は、引火即死亡の危険を知っているから、引火しない工夫をちゃんとします。
 それでも事故は起きるから、爆発してもいいような場所で作業をしています。
 原子力燃料製造者は、それが臨界を越えたらどれだけの影響があるかを考えてから、作業場所を設置しなくてはいけなかったのです。
 300メートル向こうで、超小型の中性子爆弾もどきが爆発している時、国やその企業の反応はどうでしたか?
 小型の防護壁無し原子炉もどきは、核反応後の死の灰と中性子をばらまき、その暴走はウランが壊れるまで続く(止めようがないのですから)のです。
 チェルノブイリを見ても解るように、止められない原発はそれそのものをスッポリ埋めてしまうしか手がないのです。
 だから、今回もそうなりかねません。
 工場を核汚染物質ごと土砂やコンクリートで固め、
 放射能が消えるまで待つのでしょうか・・?
 
 知識が無い事は、ある意味で死を意味するな・・と、
 今回あらためて思いました。
 ただその知識も、情報無くしては増えません。だから、ヤバイ物を扱う場合に情報操作をするのは、
 国や企業の常套手段になるのです。
 金が集まる所に、金の問題は起き、犯罪を扱う所に犯罪が起きないわけがないのです。
 事故は絶対に無いと、言い切る人は嘘つきです。
 絶対なんて事は、殆ど存在しないのですから。
 自分のための情報収集は自分の生命にも関係する事を、
 今回の東海村の事故で学ばないといけないのでしょうね。
 **電力さん!
 安全だと言い切れるのなら、
 原発の安全性をうたうCM、
 やめたりしないように!
                             by H |