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 香港より帰ってきました。
 いつも蒸し暑いと思っていた香港が何故か涼しかったのは、多分台風18号のせいでしょう。
 とにかく街を歩いていてもいつものジトッとした湿度を感じません。
 汗かきの私には願っても無いことでした。
 
 今回香港に行ったのは、中秋の月見をするためでした。
 この日は、家族揃って外へ出てランタンや蝋燭を立て火をともし、
 月餅を食べながら月を愛でるのが、香港流の月見です。
 日本の花見の宴に似たこの催しは、素朴だけど暖かみのあるものに見えました。
 だだっ広い草原に、家族や恋人同士が手に手にランタンを持って集まってくる光景は、彼らの家族主義の具現化のようにも見えます。
 
 
   血の繋がりを大切にする彼らは、親兄弟を大切にすると聞いています。
 昔は日本もそうだったハズですが、いつの間にかアメリカ的個人主義に変化して、
 季節の祝い事を家族で過ごさない若者が増えているようです。
 
 香港は、1食200円で済ますこともできれば、おかず一皿に10万円出す人もいる街。
 だからいまだにホンコンドリームは存在し、貧富の差も激しく見えます。
 
 私は異邦人として香港に滞在し、彼らの習慣の中に身を置き、
 今の自分の位置を確かめます。
 
 卵の黄身が入った月餅は、私にとっては懐かしい物では無い事。
 月見の思い出は、家族揃って満月を見上げた事で無く、
 葉山の砂浜で大倉氏の大鼓の音を仲間とともに聞きながら見た事。
 
 そんな自分の位置が、全く違う国、文化、民族、等の中では不思議と明確に見えてくるものなのです。
 
 日本は高齢社会となり、狭すぎる国土は不動産の世襲を招き、
 嫌でも家族主義への回帰がなされていくようになりそうです。
 がむしゃらに物を作り発展した国は、供給過多の状態を経て量より質という豊かさを求めるところまで辿り着きました。
 今バイクに乗る時、求めるものは感触です。
 それは風だったり匂いだったりGだったり・・・・・。
 それは、生きている実感を得る事であったり、自己の再発見だったりするのです。
 
 両親がいて自分が生まれた事は、誰にでも平等に起きた事。
 育つ過程で両親がいなかったとしても、人間として生まれるためには両親がいるのです。
 そんな当たり前の事すら、非日常の瞬間でしか確認できないのは、
 忙しい日常に甘えたり溺れたりしている証拠。
 
 帰国して久しぶりに母と会いました。
 
 香港リポート by H
 
   追加   月見会場はこんな感じです。
 思い思いのやり方で蝋燭とランタンを飾り
 弁当や月餅で月を見ています。
 
 何故か香港人はあまり酒を飲まないので、
 とても静かな会場でした。
 
 月餅は皮や形などが実にバリエーション豊かで、
 キティちゃんバージョンまで売っていたりします。
 (なんとサンリオの許諾付き(爆))
 
 中には卵の黄身が一個入っていたりして、なるほど月見のための
 月餅なんだなあ・・と思いました。
 
   
 横浜中華街でもこの時期だけ月餅を売る店があります。
 季節限定の物を味わいながら、時の流れを感じる粋は、
 どこの国にも存在するのでしょうね。
 
 by H
 
 
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